ここ数日、FOXチャンネルで深夜0時から放送されていた『黙示録』に目を通していた影響かどうかは知れないが、先の記事で記していた気持ちとは随分と離れた心境にある。
興味本位とかそういったことではなく、日常的な動作の一部の欲求として、「人を殺したい。」と思う気持ちが強くあり、その気持ちを前に、先の記事で記していた気持ちとは随分と離れた心境にあることを余儀なくされているわけである。
正直、ここ二三日として体調が悪い。多分、諸々のバランスが崩れ、そうした心境にあることを余儀なくされているだろうことが窺えるだけに、「『黙示録』に目を通していた影響もあるのかなぁ?」と、思うわけで。
もちろん、セーブしているから、セーブ出来ているから、実際に人を殺したりはしないけど。
◇
ただ、問題はそこではなくて、気持ちの変化の幅が大きいことへの戸惑いがあること。
先の記事を記す前提として、結婚をすることを相手の親御さんに認めて貰うべく、勇気を振り絞って挨拶に行く立場にある人たちの心情が痛いほど分かる心情を知ったことがあった。
「愛している」「必要としている」とかそういう言葉の上でのことでなしに、相手の親御さんを含め係わる人たちと相対する心持ちがあるだけの心情。そういう気持ちへの合点が行っていたわけである。
でも、そういう気持ちへの合点が行った後、先の記事を記し、その後として、憑き物が落ちたように、そういう気持ちとは距離を置くことが出来るようになっており、それまでは容易に考えることを良しとしなかった肉欲的な部分を良しとしていることに気付かされるというか。
もちろん、それまでも肉欲的な部分を意識はしていたのだけれども、そのシチュエーションとして、そこまでは考えていなかった部分が頭をもたげ、それ故に、自分自身の心情が分からなくなって行っているというか、そんな感じ。
◇
先の記事を記していた頃には、「好きであることを自覚させられるに至った人」に対して、「抱きしめてキスをしたい」などと思うことを自身として認めることが出来るようになっており、「肉欲的なレベルで、そのまま先のことを考えることが出来るようになれば凄いなぁ。進歩だなぁ。」と、考えさせられていた。
が、その後として想起させられるシチュエーションが、岩間正之さんが絡むもので、我ながら、「えっ!?」と、思う他はなくて。
そして、一気に何かが冷めていくような感じがするようになり、「好きであることを自覚させられるに至った人」に対して「抱きしめてキスをしたい」などと思うこともなくなっており、更には体調まで悪くなる始末。
私として、気持ちの変化の幅が大きすぎて、戸惑う他はない。
もちろん、私において、恋愛感情が一定のレベルに達すると、それまでは普通に抱いていた気持ちが霧散してしまい、どうとも思わなくなってしまうことが通常だから、その事象自体は別に納得が行かないわけではないのだけれど、「この人は、きっと。」と、思っていた節があったのだろう。やや落胆する気持ちがなくにはない。
とはいえ、事実として、幾らかの気持ちは保持されてはいるのだけれども、その違いは、実験結果で誤差の内に含まれる程度の違いぐらい。普通に泣きたいよ。
ま、後悔しないよう、その気持ちを精査しつつ、その人に向き合う他はないか。うん。
[ 2008/06/04 22:44 ]
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私として、今のところ想い続けているだろう人として、岩間正之という人がいる。でも、正直、その気持ちがよく分からない。彼を慕う対象と見ていることは事実なのだけれども、実際に会うことが出来るわけでもないし、その見込みも今のところない。そしてそれ故に、苦痛を感じ、その気持ちと距離を置くことを心掛けたときもある。
そうこうしている内に、好きであることを自覚させられるに至った人はいるし、見るだけでも結構癒される人たちへの気持ちもまた自覚することが出来るようになっている。
が、そうして時が流れる中で、正之さんのことを愛しているような気持ちがあることに気付く。少なくとも、その言葉として。
好ましく思う人が多いことに悩んだ頃があった一人としては、その心理的状況が至って不思議でならない。
◇
それ故、一身上のことにこじつけて、「岩間さんが俺のことを?」などと考えたりもするが、一身上のことは別としても、現実的なその見込みはないに等しい。
だから、不思議でならない。
自分の中で気持ちの整理がついていない状態にあることも考えられるから、放って置くしかないのかも知れない。
ただ、正直なところとして、(性的な意味を含め)愛おしさの度合いで考えるに、目下として好きであることを自覚させられるに至った人の方が、好きである。
しかし、これまでの経験上、他人を好ましく見ている場合、少なくとも俺の観点・視点は、何処かは必ず欠落しており、厳密な意味で優劣をつけることが出来るわけではない。それ故に、気持ちの整理をつけることが難しいのかも知れない。そもそも、本当に幼い頃であれば、「好き」だけで済んでいたものが、歳を経るにつれ、そうではなくなっていくからな。
岩間正之さんを好ましく思うようになった頃は、本当に厳しい状態だったから、「理想の人」とかそういう趣旨に基づく観点は大分削がれた上でのこと。だからこそ、極めて似たような人は別だけれども、タイプ別けされるその1つとして好きではないことは分かっている。というか、誠実になろうとする余り、その域を脱してしまったというのが正確なのかも知れない。
だから、目下として、言葉で表現できる形で胸中の愛おしさを描くことが出来るのは、彼に対してだけなのだろう。
が、そうした気持ちがあるにせよ、好きであることを自覚させられるに至った人はいるわけである。
そしてそのように判断するに至った経緯が、俺の悪い癖(感化され易い、シチュエーションに弱いetc.)に基づくものなのか、それとも本心に基づくものなのか、今のところ、正直分からない。というのも、私自身、どちらでもあって欲しいと望んでいるようだからな。要は、もっと好きになりたいけれども、もっと好きになるのが怖いということ。
人間の心理って、この辺りのこととか、本当に絶妙だよな。
[ 2008/05/29 17:22 ]
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「慕う相手がいることは、良いことだ。」と思う。でも、「今のような慕い方を続けていて良いものか。」と、思わずには居れない。 「良いなぁ。」と思うことの出来る対象には、大抵は好い人がいるのが普通というもの。それを認知した上で、慕い続けようとするのは、厳しい。
とはいえ、今のところは、それで何とか過ごすことは出来ている。
どう転んでも、そういうことぐらいしか出来ないから。
そして今では、その事実に慣れつつある。もしかすると、既に慣れ切ってしまっているのかも知れない。
◇
「恋人関係を得ることの出来る人たちが、普通に羨ましい。」と、便宜上は記すけれど、無いモノ強請りに近いことを意識してか、今では以前ほど羨ましいとは思わなくなっているからな。「慕うが故の苦しみも嫌だけれども、こういうのも、味気なくて嫌だなぁ。」と、思ったりもするが、「心の琴線に触れる人を見つけるというのは、努力で出来るようなものではない。」と思う。
(“身近に”というべきか)可愛い人たちはいるにはいるのだが、そういう対象として見るとなると、二の足を踏むのだよな。この辺りは、本当に振幅があり、素で「気持ち悪い。」と思うときもあれば、そこまで意識しないときもある。正直な話、この点は、自身として目下慕っている相手に対しても同じ。
相手は人間なのだから、当然と言えば当然なのだけれども、一身上のことがあるために、その手のことに限らず頭痛の種は尽きない。今、普通にマイナスのプレッシャーを受けているし。以前であれば、「自身として、この体に付き合うのに精一杯なのだから、そこまでにプレッシャーを加えられる理由は無いだろう?」と、考えて凌いでいたのだけれども、今では一々そこまで考えるのが馬鹿馬鹿しくなっている。
そうして考えて凌ぐ努力をし続けたところで、今日に至るに、自身の身の上には変化と呼べるものなどないからな。相変わらず、その手のプレッシャーを加える人はいるし。私個人として、俺として、「人間って、それが普通なのだろうな。」などと、考えたくもなります。
[ 2008/03/05 22:08 ]
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海外の市場関係者に蔓延しているイメージとして、日本の経済改革のペースは、小泉内閣の頃に比べ鈍化して来ているらしい。もちろん、安倍前首相の際にも、小泉内閣の経済改革を“引き継ぐ”という形を採ってはいたが、“引き継ぐ”という形であるだけに、その鈍化が指摘されてもいたわけだが。
ただ、今の日本の状況は、そうして経済改革が進められて来た中で目を向けられることとなった“不満”に一区切りつけるべく、国民との間の調整期間にあるわけであり、そのペースが鈍化しているとして非難されても、一日本人としては如何様にも仕様はない。
もちろん、そうした言葉を向ける人も、恐らくは分かってはいるのだろうけれどさ。
でも、日本についてマーケティングされる側の人たちとしては、目下、その印象の薄さは否定しようがないのだろう。
ともすれば、日本の人たちにおいても、不祥事続きとしか、不甲斐無い政権運営としか、目には映らないだろうし。これ以上のことは、内閣を構成する人たちや、キャリア官僚さんたちの方がちゃんとした考えをお持ちでしょうから、恐らく私が表現するまでもないでしょう。…、ちゃんと考えていますよね?(少し不安。)
尤も、「こうしたことを記そう。」と思えるのは、岩間さんへの気持ちがあるから。
◇
私は、知識階級の人たちなどを“普通の人たち”とした場合、その範疇に含まれない人間の一人。
そんな経済的に厳しい人間が、今のところ自分自身ではどうにもならない問題である経済関係のことについて、ある程度の見解を有することが出来るのは、自身において大学生の頃に努めた蓄積もあるとはいえ、岩間さんに対する気持ちの割合が依然として占めていることは事実。
自分でも、自分が同性愛者であるかどうか分からなくなるときが儘ある。というのは、その方面のことに対して、“好み”とかを差し置いて、それを好んだ視線を向けているときもあれば、「気持ち悪い。」と普通に思うときもあるから。そういうのは、この歳になっても、どうにもならない。
今は丁度、「気持ち悪い。」と普通に思う部分と、そこまで意識していない部分との間で揺れている。
とはいえ、岩間さんの可愛らしさを意識する部分が、何度となく頭を過ぎる。
「会うことが出来るものなら、」「抱きしめることが出来るものなら、」という気持ちも伴うだけに、“辛い”と言えば辛いが、以前ほどその辛さを意識しなくなってもいる。
多分、アルバイトを続ける中で、独り善がりの部分が少しずつ削られて行っているのだろう。
でも、その上で、求める気持ちがあるということに躊躇いを感じつつも、それだけに、その気持ちを素直に認めることが出来るようになっているのだと思う。「岩間さんみたいに可愛い人が恋人なり、そういう人だったら。」と思いはすれど、それにより自分自身をたしなめる度合いは低下しているからな。
以前とは恐らく別の意味で、好きでいることが出来ていることが、嬉しいのである。「この気持ちが報われる。」とは恐らく言えないし、「寂しいものの、そんな人生もありか。」とでも思うことが出来ているというか。未だ、言葉にするには、未知の部分の多い感覚です。
そんな気持ちがあって、経済関係のことにも、ある程度の視線を送ることを自身として許すことが出来る。本当は、経済関係のことに精通できるような勉強を重ねるに至った方が良いのだろうけれど、今のところ、そこまで至ることは出来ていない。『Stern Review』の内容を逐一理解できるほどの頭となった方が、地球世界のためには良いのかも知れないけれど、人間社会においてそこまでの期待がされているのなら、今とは別の人生があったのだろうし。
他人を好きになるって、本当に難しいなぁ。その背景にあるかも知れない作為を意識した上で、その人に気を許すことを自身に求めるのか否か。今のところは、「俺は、岩間さんみたいに可愛い人なら、全然大丈夫。」と、思う部分があるものの、この先一体どうなるのかは知れない。それはそれで良いと思いつつ、寂しさもあり、それを考えると、今は好いていることがとても素晴らしいことのように思え、有り難く思う。
本当に、難しいな。
ロンドンで日本投資セミナー (NHKオンライン 2008年1月22日 8時12分) 世界的な株安傾向が続く中、特に値下がりが激しい日本の株式市場などへの幅広い投資を促そうと、イギリスのロンドンで、証券会社や投資銀行の担当者を招いた投資セミナーが開かれました。
「日本証券サミット」と銘打たれたこのセミナーは、日本証券業協会が主催したもので、竹中元経済財政担当大臣が団長を務め、ロンドンの会場には、欧米の証券会社や投資銀行の担当者らが招かれました。
日本は去年、世界の主な株式市場で2番目に大きい下落率を記録するなど、いわば「1人負け」の状態ですが、日本の株式市場の売買代金のうち、3分の2は外国からで、さらにその半分をヨーロッパが占めています。このため、日本市場の活性化にはロンドンを通じて世界に投資されるロシアや中東の豊富な資金を呼び込むことが欠かせません。
セミナーでは、株式のほか、債券や日本の会計制度も取り上げられました。参加者は「皆が中国への投資に夢中で『日本へは投資するな』と言うが、そんなときこそチャンスかもしれない」「日本は成熟した市場だが、投資家は成長率の高い新興市場に投資したがるものだ」などと、話していました。
企業レベルの投資セミナーが多かった日本が初めて行った市場全体への投資の呼びかけは、世界的な株安という強い逆風の中での新たな取り組みとなりました。
[ 2008/01/21 21:30 ]
思慕 |
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慕う気持ちがあり、肉欲があり、その双方がマッチすると、それはそれで感覚として気持ちが良い。それが事実とはいえ、ここ最近、それをずっと忘れていた。
岩間さんのことを諦めようにも、諦め切れない気持ちもあり、現実の諸々としたことを考えればこそ、「きっぱりと、諦めるべき。」という考えにも至る。テレビ画面を通して岩間さんを見ることが出来なくなって5ケ月ぐらいが経つわけだが、恐らくは無難な心境だろう。
今も好いてはいるけれど、それ以上のことが望めるわけではない。慕う気持ちが故に過度に苦しくなることからは一線を引くことが出来るようになったとはいえ、その認識に留まることで、身(精神?)を守っているのだとも思う。
◇
先日、『太陽の黙示録』(かわぐちかいじ/著、ビッグコミックス/連載)の9巻から16巻を購入し、読了した。そしてその登場人物の一人である周真瑜(ヂョウジェンユイ)のカリスマに関する言葉を受け、考えさせられた。
私は高校生の頃、その認識と感じるプレッシャーが故に、アンチ・キリストであることを自分自身に求めた。その事実を構成する事実はあるものの、その背景については当然分からなかったけれど、そうすることで、感じるプレッシャーは幾らかマシになったわけである。
で、周真瑜(ヂョウジェンユイ)のカリスマに関する言葉を受け、「俺が、自身にアンチ・キリストであることを求めるに至った背景理由の一つには、それがあるのかも知れないなぁ。」と、考えさせられたわけである。
今は、自分がアンチ・キリストであるとは思ってはいないけれど、それは自分自身が如何に無力な人間であるかを具体的に認識して行く過程があってこそ。「幾ら勉強したところで、たとえ勉強をすることが出来たところで、立身出世という言葉に表現されるような意味で社会的に生きて行くのは難しい。」という視点に始まる、それ以降の過程があってこそ。
その過程に際し、岩間さんを慕うようになった御蔭で、少しはマシになれたが、それだけに、現実の諸々としたことを考えればこそ、「きっぱりと、諦めるべき。」という考えにも至るものの、諦め切れないのだろう。
こればかりは、本当に、どうにも仕様がない。
[ 2007/11/06 13:55 ]
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以前、どんな人が好きかを他人に聞いた際、「洗練された人が好き。」との答えを貰ったことがある。「俺、田舎くせぇから、無理だわ。」と、思ったものだけれど、ここ最近を過ごす中で、「俺も、洗練された人っぽい人は好きなのかなぁ・・・。」と、思うに至っている。
もちろん、そう思うだけで、そう思うときがあるだけなのかも知れないから、余りそれに拘りたくはないのだけれどさ。
ただ、ここ数日として、「自分が考える以上に危ない状態なのかもなぁ。」と、はっとさせられることは多いから、そうして落ち着くことにも余り拘りたくはない。
◇
「心の支えとしている人」を明らかに慕っていた頃の、その苦しい心境を覚えているが、ここのところ、岩間さんに際し、その心境と近似した状態にある。ただ、それに付随する言葉は、「〜、愛してる。」から、「恋してる。」に変わっている。
「愛して欲しい。」と思う気持ちは人並みにあるし、それが分かっている手前、無闇に“愛”を求めようとすることの出来ない一人としては、それが、自分にとって良いことなのかどうか、分からない。
もちろん、恋人が欲しいことに変わりはない。かといって、恋人関係とはいっても、(それなりに様々あるだろうとはいえ)良い関係を継続的に築いて行きたい手前としては、正直な話、よく分からない。踏み込んで問うべきなのか、そうでないのか、などなど。
尤も、私個人としては、「踏み込むべきではない。」という判断の下、生活を続けているわけで、「それが、自分が波風立てずに過ごせる唯一の方法」と固執している節もある。だからといって、このままの状態を続けても、自分でも果たして一体どうなるのか知れない。
自分のためとはいえ勉強をすることが嫌になることも多いけれど、勉強をする必要があるのは事実だし、その一方で、こうしたことに思い悩む。健全と言えば健全だけれど、俺も、何時までも若いわけではないから、それを考えるに、悩まされてしまう。
いい人を見つけるって、本当に大変だ。
[ 2007/06/28 15:53 ]
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「恋人が欲しい。」と思う。が、「変な人に捕まりたくないなぁ・・・。(または、その逆の立場だったら、嫌だな。)」とも思うから、そう思うに止まる。それで自制できないわけではないが、やはり、この先のことを考えると、寂しいというかそうした気持ちに囚われるのは仕方のないことと言える。
日常として、(他の人たちに目を向けるに)「俺も、ホモオーラを醸し出しているのかなぁ?」などと考えたりもするが、そうした考えは別として、「やっぱり、いい人がいることに越したことはないよなぁ・・・。」とも思う。でも、将来的なことを考えると、そうした気持ちに素直に拘っているわけにもいかず、悩ませられる。
◇
だから、「岩間さんのことが、好きなのだなぁ。」と改めて思うに至っても、だからといってどうすることが出来るわけでもない。そしてそれだけに、将来的なことを考えると、空しくなるというか。
それ故、「性革命とその世界的な波及への懸念から社会的な圧力が高じた1970年代、それを受けたゲイ・ムーブメントの拡大を通じた1980年代のエイズの時代、そして1990年代を経て2010年まで後三年ほどとなっている今において、俺は何をやっているのだか。」と、思わないでもない。
以前であれば、「それらは飽く迄も西側寄りの見方なのだから、一日本人に過ぎない自分が、そこまで気にする必要はない。」と思ったものだけれど、自分の身体性(“聞こえている”ことね。)と、今日までに抱いて来ている気持ちを振り返るに、「やっぱり、気にする必要があるのかなぁ・・・。」と思うに至ってもいる。
とはいえ、「思慕の感情は認めても、実際にそうした関係を得ることが出来るべくもない。」とも判断させられているのが事実だから、「身体性に基づいた意味では兎も角としても、私にとって本当に意味はあるのか? 判断させられていることが真実ならば、少なくとも、それは私のするべきことではないだろう?」と、思わなくもない。
だから、その手の変な責任を押し付けられるのは、正直な話、閉口するに極まりない。
こういう類のことって、なまじ関心を寄せて来ている経緯があるだけに、行動の仕方に苦慮させられる。もちろん、苦慮させられるとはいっても、出来る行動は自ずと限られているのだけれどさ。我ながら、心境として、実に苦しい。
[ 2007/06/15 20:42 ]
思慕 |
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私は、事実として、動きが鈍い(のろい)。別に態としているわけではなく、ただ鈍いわけである。そして、事ある毎に気を遣うというわけではないため、気を遣った行動をしても、それを他人に汲まれることは稀(まれ)で、普通に考えれば、その行動として更に鈍いことになる。
小学生の頃は、それを気に病んでいて、口よりも手が先に出ることもあって、一体どうすれば良いのか悩んだ。
そうこうしている内に、つい最近まで、「鈍い。」と言われることにも無頓着となっていたわけだが、昨日今日と時間を過ごす中で、体の動きが我ながらゆっくりとしており、「ははは・・・。」と、我ながら内心笑ってしまう。
でも、裏を返せば、漸く、そのぐらいには確実に回復することが出来て来ているわけであって、このことに関し、単純に悲観してもいられない。
◇
脳の機能が健全に働くためには、よく食べて、よく動くだけではなく、質の良い睡眠を摂ることが必要であることは事実。恐らく、自立生活支援センターで過ごした後、アルバイトをしつつ実家で生活をすることの効果が現れて来ているのだろう。
というか、そう考えれば、合点が行く。
岩間さんを見ずに一週間を過ごすことが出来たことも、恐らくは大きいと思う。岩間さんの前のキャスターさんだったとき、精神的に停滞気味だったとはいえ、今の感覚としては近いように思うから、そう考えるのが適切だろう。
とはいえ、飼い猫を触りながら、岩間さんを好いていることをまざまざと認識させられるわけだから、気持ちとしては確実に続いていることは否めない。この先、この気持ちが吉となるのか、蛇となるのかは知れないが、今は未だ落ち着いている。
ただ、その関係か、性的指向に基づく思考にムラ(斑)が出て来ており、「また以前のような状態を繰り返すのだろうか?」という疑問も抱くようになっている。
岩間さんをテレビ越しとはいえ目にすることの出来た間は、岩間さんが“生きている人間”ということもあり、性的指向に基づく思考にムラ(斑)を生じさせる余地はなかったのだけれど、流石に一週間も経つと、その余地が確実に出て来ることは否めない。
以前は、そうしたことが今よりもよく分からなかったから、自問自答の内容にしろ、他人の言葉にしろ、必要以上に気にしていた。もちろん、今でも気にしないとは言わないけれど、(この先は別として、)飽く迄も目下としては、微妙なところ。
恐らく、ここ数年来において今が一番、平常心に近い状態なのだと思う。
この状態を保ちつつ、勉強をすることを叶えないといけない。本当に、一体どうすれば良いのやら。
**追記**
この記事を記した当初、ムラ(斑)をムレと記していた。記していたときには違和感はなかったのだけれど、振り返れば、今までもムラという表現を普通に用いていたように記憶しているから、自分の意識していないところで、やっぱり、頭に来ていると考えるべきか。・・・、自分が意識出来ていないだけで、十分に危険な状態にあるのかもな。
[ 2007/06/10 21:47 ]
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今朝、久し振りに変な夢を見ていた。その部分部分は記憶しているのだけれど、流石にその全てを覚えてはいないし、思い出したくもない。余りにも夢に入り過ぎたのか、時間の感覚がずれていたから、多分その手の類の夢だから。
CLAMPさんの作品の一つに『東京BABYLON』という作品があるのだが、作中において、その主要な登場人物の一人である桜塚星史郎(表の顔は獣医師。裏の顔は桜塚護という暗殺集団の一族。)によって殺される、ある女性が出て来る。彼女は、その能力に基づく活動の将来的な社会的影響を見込まれ、星史郎に殺されるわけだが、それを想起させられる内容。
もちろん、今考えれば、だけれども。
◇
目が覚めたときには、「岩間さんが既に自分自身にとって心の支えとする人である事実を受け入れなければならない時期にあるのか。」と、素直に考えてしまった。でも、その内容を、よくよく反芻するに、そうとは限らないことを意識させられるわけである。
予備校生のとき、寮生活をしていて言われたのが、「〜(私のこと)と係わるとハブになるぞ。」ということ。その言葉を言った本人にその意図はないのだとしても、当時の私は、“聞こえている”という事実の具体的な判別と受容に悩んでいたわけだから、その言葉は、その思考に沿って解釈されることになった。
当時として、“聞こえている”ことを受容する過程で、私は自分自身を一個の人間としての枠を超えたものとして尊大化する過程を辿っている時期だったから、それによりショックを受けることは認めても、「傷つく」ことが適切かどうか判別が付かず、ヤキモキさせられた。
ま、正確には、怒りはしても、「傷つく」ことを受容できるような余裕はなかっただけなのかも知れないのだけれどさ。育って来た環境が違うことを意識させられることが多かったから、その上で知っている対処法は限られていたのが事実だし、今考えてもやはりどうにも仕様はなかったと思う。
他人をそして自分を馬鹿と言う以前に、知らないこと・分からないことが余りにも多くて、それを明らかにする努力をしつつ、勉強もしないといけない。家の家計状況からすればそれまでで随分と大きなお金を費やしていた事実を意識すればこそ、寮から出て行くわけにもいかなかったし。
何れにせよ、そうした状況下で培ったことを素地の一つとして、大学生のときに学ぶことを学んだけれど、その過程を経て、自らが一人の人間であることを受容することが出来るようになって行ったわけである。
◇
だから、岩間さんが番組のキャスターを辞められるのも分からないではない。岩間さんに人気が余りにも集中してしまうと、組織人事としては頂けなかったのでしょうし、キャスターをされているとはいえ飽く迄も一般人の岩間さん(並びにその家族)にしても頂けないでしょうから。前のキャスターさんからの交代のときも、「それまでに報道して来たことに関連して、何かあったのではないか?」と勘繰ってしまったから、つい、そんな風に考えてしまう。
そうしたことを考えはするものの、かくいう私自身、仮にも一一般人なのだから、虚ろな表情で薄笑いをしたくならないわけでもないが、考え過ぎであることを祈ろう。テレビ画面越しとはいえ、前のキャスターさん同様、何処かでお目に掛かるかも知れないから。
兎にも角にも、普通に考えれば、愛らしい岩間さんを見ずとも頑張って行くしかないのだから、今の気持ちを受け止めつつも、腹を括らねばなるない。・・・、寂しい。
[ 2007/06/03 18:02 ]
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昨晩に放送された『経済最前線』において、同日に放送された『東京マーケット情報』と同じく、岩間さんがキャスター変更の言葉を述べられていた。ただ、キャスターの任を務められた期間は、2年7ヶ月ではなく3年余りとなっていたけれど。
私としては、どちらでも良い。
正確には、相当の時間を、良くも悪くも費やして来た事実を鑑みれば、余り意識したくはない。お金もなく、働いてお金を得ようにも精神的に疲弊し切っており、テレビやPCなどの前にいる他はない中、勉強のためとはいえ見始めた番組の数々。その中の一つとして、何者にも代えがたい珠玉の如き魅力を感じさせた人がいたという事実だけで良い。
それだけで、十分。
◇
だから、岩間さんをテレビ画面越しに見ることが出来なくなれば、寂しいけれど、哀しいけれど、今のような時間が来ることは常々自分自身に言い聞かせて来ているし、すっぱりと割り切るしかない。
願わくば、同じような思考をしている人たちが多く、岩間さんを結果として困らせてしまうことがないと良いのだけれども。少なくとも、俺は、そうならないように今後とも気を付けたい。
とはいえ、岩間さんの愛らしい姿を見るのはこれが見納めかと思うと、やっぱり寂しくて、番組HPにおいてメールのコメントをしてしまった。大人気なかったかも知れないが、『経済最前線』においての今にも泣きそうな表情をされていた岩間さんを見るにつけ、様々に考えるに「あれで良かったのかも知れない。」とも思う。
…。こういう気持ちを言葉で直に伝えることが出来る関係にある人たちが、やっぱり、羨ましいよ。
[ 2007/06/02 20:16 ]
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