昨晩、ANIMAXで『ガンダムSEED DESTINY』の第44話を視聴するに、様々に考えさせられたため、その旨を HPの該当ページにアップした。その後として、小原さんのブログ『KOHARA BLOG』の 「平和憲法の担い手」にて、常々考えさせられてはいたけれど、漸くまとめることが出来たことをコメントとして寄せさせて頂いた。 自分でも、あんなに長々と書いてしまったことに、正直驚いている。 でも、書いたことに後悔はない。たとえそれが自己満足だったとしても、少なくとも今は、後悔はない。 ただ、書いた内容としては、今後として私も精査することを求められる類のことであろうことへの意識はあるため、多分に、こうして記しているのだと思う。変に甘えるような思考に陥ったり、尊大な気持ちになりたいわけではないからな。もしかすると、「分かって貰いたい。」と思っているのかも知れないけれど、一身上のことを以前よりも意識した過程を踏んでいる一人としては、それとは違うように思うし。 これまでの経験から、私自身が時間を割いて記しているとは言っても、その内容としては、何処かの誰かは考えるだろう・考えているであろう内容であることは分かっているし、それを変に背負い込みたくはないのだよな。少なくとも俺は。 感謝、すべきことなのかな。こういうのって。
◇ 『KOHARA BLOG』「平和憲法の担い手」へのコメント 小原さん 先日、この記事についてコメントを寄せさせて頂こうかと幾ばかりか書いていたのですが、考えてみれば、私自身、ご指摘にあるようなゲームを楽しむことのある一人であるわけであり、途中でその内容に窮してしまいました。 ただ、その後として意識して過ごす中で、気付かされたことがありました。というのも、私自身、「人の命を奪うことを最大の悪とし、戦争を全面的に放棄する」精神を部分的にせよ有していることを意識させられたわけです。 私には時折、無性に人間を殺したい衝動に駆られるときがあり、「人間など滅んでしまえ。」とさえ、思うときがあります。しかし実際には、そのための計画を立てたりしませんし、ましてそのまま実行に移すわけではありません。少なくとも私にとって、人間の命は、それだけの重みがあるわけです。そして恐らく、それ故に、そのように思ってしまうときがある、と。 以前は、それが特別な思考体験と思っていました。ですが、今では、「それは別に、特別な思考体験ではないのでは?」と思うようになっています。種種の書籍等に目を通す限りにおいて、「私が考えるよりも、普通の思考体験なのではないのかな?」と、思うようになっているわけです。 そして、「だとすれば、私たちに必要とされるのは、人間の命の重みを支持し背負うことが出来るだけの精神的な許容度だけではなく、現実的な対応を可能とするだけの物質的な許容度をも高めることなのでは?」と、思うわけです。 もし、そうした私の想定が的を得ているとすれば、その実質として戦争に繋がる行為に従う人たちに頭ごなしに物を言うのは、ただの傲慢でしかありません。「あなたは恵まれているから、そんなことを然も他人事のように容易く言うことが出来るのだ。」と、切り返される可能性もなくにはないわけです。 もちろん、小原さんは、そうしたことを了解された上で、記事にあるようなことを記されていらっしゃるのだろうとは思いますが、ご指摘にあるようなゲームを楽しむことのある私として、それが故に、賛同したい気持ちがある半面、首を傾げたい気持ちもあります。 というのは、ご指摘にあるようなゲームに興じるには、ある程度まとまった費用なり時間なりが必要であるためです。私が見聞きする限りにおいて、その費用や時間を用意することの出来る人たちにおいて、物質的な許容度は一定度確保されていると見るのが無難です。同時に、それに値する精神的な許容度もまた低いわけではないように判断させられます。 そしてそれが一般に言えることとすれば、バーチャル経験がリアルを侵食する可能性が最も高い人たちというのは、その費用が一体どのようにして得られたものかを知らない人たちと言えます。更に言えば、それに際して、“こうこういう過程で”という単なる机上の理屈に止まらず、その社会的背景として一体どのようなものがあり、それへの一個人・一集団のみに基づく行為を推し進めることの困難さを知らない人たちと言えるのではないのでしょうか。 恐らくは同様の観点から、社会的に既に取り組まれていることはあるように判断されますが、日本全国に目を向ければ、未だ十分とは言い難いことも知っているつもりです。それ故、「そうした子どもたちの日常経験を見据えた平和教育を進めるに際しては、ゲームのような取っ付き易いことも必要ではないのかな?」と、思うのです。 バーチャル経験がリアルを侵食する可能性は確かにありますが、そもそも子どもたちや大人たちを取り巻くリアルの環境は異なります。そんな中にあって、バーチャル経験は、リアルでの環境に比べて、距離の近さを意識させるものです。上手くすれば、バーチャル経験を通じて、リアルでの繋がりを得ることが出来るかも知れません。 そうしたことを考えるに、軍事的な脅威に対するに際しては、良い意味でゲーム的な感覚を意識させた思考訓練を積んで貰うことが、子どもたちにとって(この場合は、大人たちにとっても)現実的なのではないのでしょうか。その上で、軍事的な脅威に対して平和的解決へと至ることが出来るかどうかは、日本人の品格にも係わることかも知れませんが、人間自身に依る部分が大きいと思います。 もちろん、小原さんは、その上で、継続的な平和教育の大切さを示していらっしゃるわけでしょうが、その平和教育が単なる理想論の提示に止まらず、多くの利害が絡み合う現実の中で一体どうすれば「平和」を実現することができるのかを考えることを許す土壌を育むものとならなければ、意味はないように思います。 以上、長々と記してしまい、申し訳ありません。
[ 2008/05/09 18:52 ]
ガンダム00 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
昨晩、ANIMAXで 『ガンダムSEED DESTINY』の第41話を視聴した。昨日には、『ガンダムエース』の最新号も購入しており、その内容に際して様々に考えさせられていただけに、再考するにつけ、やはり思うところがあり、その気持ちのままに記してしまった。 一度、どこかで書いたことがあるような内容となってしまったが、仕方ない。 『ガンダム00』を視聴する中で、それとの類似性を意識して来てはいるものの、それを上手く表現するためには、私の頭が足らないこともあるが、第2期の放送が未だ始まっていないことも大きい。それ故、「この分だと、多分に、第2期の放送を必死に見るのだろうなぁ。」と、考えたりもする。 『ガンダムエース』にも掲載されていたけれども、第1期の最終話の終盤のカットにおいてルイスの手前にいた人はリジェネ・レジェッタという人らしい。私は掲載内容を受け、リジェネという言葉を検索して、初めて知ったが…。やはり、一見しただけで感想を記すと、ああいう齟齬を来たすよな。ま、分かってくれる人は分かってくれるのだろうが。( *) *リジェネ・レジェッタ関連で、『ガンダム00』の第24話・第25話の感想に追記しました。 第2期が、本当に待ち遠しい。
[ 2008/04/29 14:02 ]
ガンダム00 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
先ほど、 『ガンダム00』の第24話・第25話の感想を漸くアップすることが出来ました。急いでいたもので、誤字脱字があったら申し訳ない。後日訂正したいと思います。予定としては、今から大体5時間ぐらいは早くにアップする予定ではあったのだが、他のことをしていて、それに時間を割くこととなってしまい、今の時間になってしまいました。 今読んでいる本の中でも、“無意識の悪意”については言及されており、「へぇー。」と、思う他はないのだが、別にそれ自体は奇を衒ったものではないと思うため、そのことに際してグダグダと余り言いたくはない。ただそれだけという話。 何れにせよ、番組の内容に際して勉強になっていることは事実で、第2期が放送されるのが素直に待ち遠しい。『R2』を見ることが出来るかどうかは疑問だけれども、逐一感想を記す態勢にはないため、余り期待はしないで下さい。 何故、ここまで記すかと言えば、今回の感想を記すに際し時間を置いていたら、何とも表現し難いほどのプレッシャーを感じる状態にあったため。「俺にも予定があるんじゃ。ボケー。」と、怒鳴りたい気持ちがなきにしもあらずと言えるが、あのような状態になるようなことを毎度毎度寄せられても、正直困るからな。 願わくば、時々感想を記すことがあるかも知れない程度の認識で勘弁して下さい。冗談でなく、本当に御願いします。
『ゲイ・マネーが英国経済を支える!?』(新書y190 洋泉社/出版) 入江敦彦(Ilye Athico)という方が書かれた本です。景気が続くためには、内需の拡大が必要とされていることは事実ですが、その担い手の一角として台頭している人たちの遍歴について簡単に扱った本です。面白いですよ。
[ 2008/03/30 22:08 ]
ガンダム00 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
先日、月刊アニメ誌『アニメージュ』に掲載されている、『ガンダム00』の水島監督のインタビュー内容に目を通した。そして、監督により第23話から第25話までは一続きのお話であることを示されていたため、 GyaOにて、第23話に再度目を通していた。 昨日において、第24話を無事に見ることが出来ていたとはいえ、その内容に際し考えさせられたことを前提に、再度目を通すに、やはり感慨深いものはあるわけで。水島監督のインタビュー内容に基づき、第25話を見るまでは、私として感想を記すことは出来ないことを意識しているとはいえ、こうして記したい気持ちにはなる。 世界の現実を前に、「このような未来を。」と胸に描く人たち&そのための努力を厭わない人たちは当然いるわけで、その受け皿の一つとしてCBがあった。しかし、(経緯はどうあれ)その監視者の一人足るアレハンドロの介入によって、その趣きは変化を余儀なくされ、世界の人々にとって、CBは最早、その受け皿としての地位を失うこととなった。 その後の世界において、もう一人の主人公である沙慈が一体どのように動くというのか。そしてマリナは、一体どのように立ち回るようになっているのか。 単体の国や地域レベルでは、状況として示される問題の解決の目途は難しいため、国際的なテロ組織があり、劇中にはCBがあることが示されている。第1期を通じて、それは確定的な事実になっている以上、その事実に基づく現実を前に、第2期では一体どのような展開が見られるのだろう。 第25話と第2期の放送が、本当に待ち遠しいよ。
[ 2008/03/23 13:55 ]
ガンダム00 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
先ほど、 『ガンダム00』の第22話・第23話の感想をアップした。が、考えていることを上手くまとめ上げることが出来たかどうかは定かではない。 ガンダム・シリーズとして、エンタメ的にも、ガンダムを有する勢力をヨイショした展開になるのが通例かと思うのだが、『00』までの作品において、「その勢力としてガンダムを有するからといって、その勢力が正しいとは言えないのだよ。」みたいなことを表現する流れがあることも事実。 『00』は、それを割合ストレートに描いて来ているように、私は認識しているわけだけれど、その辺りのことを含めて作品的に示す上で、一体どのような思想的な展開が示されるのか、興味が無かったとはいえない。“正義”を示す上で、その背景のない“正義”などないからな。 でも、第22話・第23話の内容に接するにつけ、否応無しに、「俺は、第2期にもちゃんと目を通さないと、人間の一人として生きて行けないなぁ…。」と、思う他はなくなった。恐るべし、『ガンダム00』。他人にして見れば、それは大袈裟な表現かも知れないが、私個人としては、大袈裟とは思わないというか、思うことが出来ない。 少なくとも私には、そんな内容でした。…、生活を考えると、実際に第2期を見ることが出来るかどうかは疑問だけれど、目を通していた方が無難というか。私自身としてはガンオタではないつもりなのですが、「今の時分って、ガンオタに見えるようなことをしている最中なのかなぁ…。」という考えが、ふと脳裏を過ぎる。 …。「ガンオタ万歳!」とでも、言っておこう。
[ 2008/03/16 17:15 ]
ガンダム00 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
『ガンダム00』の第22話を見ることが出来なかったため、その感想サイトさんに改めて目を通していました。そして、様々に考えさせられました。 既定路線に沿って生きている人が挫折した場合、容易に立ち直ることが出来ないことは、よく知られている。だから、その意思&バイタリティを尊重しようと考えればこそ、既定路線に沿った判断を導くものは出来るだけ排除しようとすることになる。 つまり、そうした立場にある人が示すことが出来るのは、飽く迄も「指針」であり、「力」。それ以上でも以下でもない。 でも、それに徹することの出来る人など、人として生きている以上、そうそういるものではない。場合によっては、その意思が足らず、また別の場合によっては、その力が足らず。そういうことになるわけである。そして、事態を動かして行く上では、その差分を配するだけではなく、そうして一定のまとまりを得た人たちに、采配を振ることの出来る人が必要。 突き詰めていけば、大抵のことは、そうしたことで成り立っていて、その意思の内容の違いなどにより、行動の仕方も変わることになる。少なくとも私は、そのように認識している。そして、それを承知した上で動くことの難しさは、言わずもがな。
◇ だから、アレハンドロ&リボンズを含め、劇中にある登場人物たちが示すことは、私個人として、本当に勉強になっている。 感想サイトさんに目を通す限りでは、イオリアのそれが明確に示され、この作品の主要な登場人物たちの意思が一通り描かれたことを示す話だったようである。更に言えば、そうして意思が一巡したことで、新たな意思への変転を促すというか、そんな感じだろうか。 そうしたことを考えると、感想サイトさんに目を通すだけでは汲み取ることは難しい多くのことを想像するにつけ、「見たかったなぁ。」という気持ちが沸々と湧いて来る。 もし、私の想定通りだとすると、『ガンダム00』は、歴代のガンダムの中でも完成度の高い作品の一つに数え上げられることになるのではないのだろうか。 25話に至らずに(想像するに)そこまで描いてくれるとなると、第2期があるとして、一体何処まで描いてくれるというのか。逆に楽しみになってしまう。もちろん、「駄作となることを嫌って、第2期が放送されないことは十分に有り得るか?」とも思うのだが、私個人としては、25話に至らずにそこまで描いてくれるとなると、逆に期待をしてしまう。 それぞれの登場人物たちが一体どうなって行くのか。それぞれが役割を担うことで成り立っていた組織。そして、それぞれが新たな役割を獲得する中で変わっていく組織。(最低でも、)それを一通り描いてくれるだろうことは想定できるだけに、本当に楽しみです。
[ 2008/03/10 22:35 ]
ガンダム00 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
先ほど、 『ガンダム00』の第20話・第21話の感想を記し終えることは出来たのだが、自分でも意外なほどに、そうして記した内容に冷淡になっている。 こういうとき、「本と、変わって来ているのだなぁ。俺。」と、しみじみと思う。 『ガンダム00』が始まる前は、SEEDシリーズの影響か、余り見たくはなかった。でも、今では逆に、SEEDシリーズの方に物足りなさを感じている。それだけ、知的刺激として得ている密度というか内容というか、そうしたものが違うということなのか。それとも、その期間内に、私自身それだけ変わって来ているということなのか。 兎にも角にも、勉強になっているのだから、それを素直に喜びたい。 『コードギアス〜R2』に目を通す中で、今と同じぐらい変わって行くことが出来るのかどうか。『ガンダム00』の第2期が放送されるとして、多分に、そのときに、分かるのだろうな。きっと。
[ 2008/03/02 14:15 ]
ガンダム00 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
昨日、『ガンダム00』の第20話を無事に見ることが出来たとはいえ、未だ、感想を記すには至っていない。相変わらず、丁寧に描かれており、分かりやすい内容だったのだけれども、それだけに次回の内容が気になるというか。 ロックオンの出自としては、家柄の良さそうな家の人間であったことは、これまでの描写に基づき、その節々から見て取れるわけだけれども、それは彼ロックオンの見方は、どちらかと言えば優等生の見方であることを意味する。 つまり、第19話でロックオンと刹那により語られた内容が、社会的に優等生ではない人たちを含めて一体どのように汲み取られるのか。第20話では、それが、それぞれの登場人物の立場で更に描かれるということ。
◇ CBのメンバーではない家柄の良い人間の代表としては、アレハンドロ、王留美、ルイス等がいるわけだが、同じく家柄としては(彼らに比べ)そう良くはないだろう人間としては、サーシェス、クロスロード姉弟等がいるわけである。 そして軍属ではない庶民の側としては、ラグナなどに取り入りながらも生きて行こうとするサーシェスの道か、ジャーナリストなどとして事実&真実に忠実に生きようとする絹江の道か、その両極の間で揺れる他はないわけである。 軍属の人間は、国家的組織に依拠している以上、その組織に準じたことをしなければならないはずだが、事態の展開を前に、各々(グラハム、ビリー、ダリル、セルゲイ、ソーマ、パトリック、カティ)の見方は異なる。CB由来の力を受容するということは、そういうこと。国としても、それを含めたことを分かっているから、国連軍の強化として三勢力による協力体制を表明。そういうこと。 でも、三勢力に必ずしも属する立場にはないマリナは静観の構えを崩すことは出来ず、アレハンドロ&リボンズが暗躍する中、王留美とて、エージェントとして事態を見定めるべくトリニティ組への接触を図る。今回までの描写を含めて考えるに恐らく、王留美のパートナーである紅龍も、ティエリア、リボンズに近しい部類の人間(?)だろう。 王留美(&紅龍)が事態を見定めるべくトリニティ組へと接触を図ったように、アレハンドロ&リボンズは、事態を更に進展させるべく、月にあるヴェーダ本体(イオリア・シュヘンベルク)への接触を図る。一連の動きが一体どのような更なる事態を招くのか。次回の内容がないことには、今以上のことを記すのは難しい。 ゲームではなく現実に座して物事を見定めようとする人たちにおいて、冷静な見方をする人たちがいるように、急進的な見方に傾く人たちもいる。トリニティ組の長兄ヨハンの言葉から察するに、彼にとって、ラグナも手札の一つと見ているのかも知れない。「手札は多い方が良い。」という言葉の真意は、未だ定かではない分、やはり明らかにされて行くのだろうし。 事態が動いている、しかも変革の時を迎えていることを認知する人たち。彼らとして、一体どのように自分自身を守るべきか。各々が、各々の見識・経験に基づいて判断し、行動している。絹江は、サーシェスの車に乗車した場合、危険が及んだ場合に直ぐに逃げられないことを察知しつつも、信念のために乗車した。その結果として、あのような映像が。 ということなので、HPに感想をアップすることが出来るのは次回放送の後となりそうです。
[ 2008/02/24 22:35 ]
ガンダム00 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
今、 『ガンダム00』の第17話・第18話の感想をまとめているところ。アップすることが出来るのは、早くて明日。というのも、その遣り方として、よく目を通す感想サイトさんやそこに記されているコメントなどを参考にしてまとめ上げて行くのだけれど、今回の場合は、考えれば考えるほど詰まってしまって。 これまでの視聴経験に基づく読み通り、第17話で提示されたことの答えの一部が、第18話で提示されていることは良かったのだが、月刊ガンダムエースで連載されている外伝(フェレシュテが出て来るやつ。)の中での描写を含めて考えるに、一体どのようにまとめるべきか悩まされるばかりで。 「ヴェーダ(もしくはヴェーダみたいなもの)が2つあるのでは?」という疑問点を提示されていた方の読み通り、“ラグナ”と呼ばれるものの存在は肯定されたのだけれども、それはヴェーダを導入したイオリアが意図したものなのか、それとも後世の急進的な人間が作り出したものなのか。もしくは、その両方なのか。 CBエージェントである王留美のようなセレブの思考として、事態の展開の仕方によってはトリニティ組の在り様を認めるような部分があるだけに、「彼女のようなセレブをしても求められる世界の変革って一体?」という疑問もあるわけである。
◇ 登場人物それぞれに譲れないものがある。そうした譲れないものが描かれた上で、求められる世界の変革とは。ヴェーダを通したシナリオを信奉する人たちが、“ラグナ”を通したシナリオを信奉する人たちへと全て移行するというのか。世界の再生を促そうとするのか、世界の破滅へと進めようとするのか、そうして望まれる世界の変革の是非。 各国・各勢力の首脳陣(この場合、セルゲイらも含む。)もまた、トレミー組とトリニティ組とで、その活動内容が違っていることを認識している描写があるだけに、悩ませられる。 外から見れば、逆鱗に触れた。が、内から見れば、ヴェーダの方針に反した活動振り。スメラギさんは元々、ヴェーダに伺った上でミッションを実行に移しているわけだから、この場合、ヴェーダの方針に沿っているのはトレミー組。しかし、その方針の下で動いた結果、彼らの活動を招いてしまったわけであり、その活動の背景にヴェーダへの干渉があることを見通すのは自然なことだし。 ヴェーダという量子型演算システムを前に、トレミー組のような行動に移す人たちもいれば、そうではない人たちもいる。「それを、今のところ暗に示しているのかなぁ?」と、考えはすれど、そこまで言い切ってしまって良いことなのか。余りにも簡単に言い切ってしまうと、「トレミー組とトリニティ組に象徴される思想的背景の違いについて、ちゃんと考えてみようよ。」という作品的問い掛けを無視しているようで、躊躇われる。 昔から、事象の破壊と保持・再生を巡る抗争をテーマとして扱った作品は多いから、そうしたテーマに慣れ親しんだ人たちとしては、「あれか。」と、思うだけかも知れない。が、この作品の場合は、ガンダムでありながら、現実社会において一体どのような経緯が見込まれるかを丁寧に描くことに努められているから、私として躊躇われるのだろう。 感想を記すって、本当に難しい。
[ 2008/02/09 23:30 ]
ガンダム00 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
昨日、『ガンダム00』を見るには見ることが出来たのだが、電器店での視聴。つまり、本当に多くの音がする中、番組の音を拾い上げながらの視聴だっただけに、内容を前提とした感想を記そうにも、(その状況下を考えればこそ)記すことが出来ない。 よく目を通させて貰っている感想サイトさんには目を通したことで、「確かに。」「なるほど。」「凄いな。」などと考えることが出来るくらいには、その内容を把握できていたことは分かったのだけれど、私として確実に見損ねていた部分とかがあって、それを考えると、目下において感想を記すべきではないように思う。 もちろん、チーム・トリニティとトレミー組の邂逅&対立関係への移行を探る上で、2話分で感想を示した方が良いことは考えられるわけだし、更に言えば、アレハンドロ&リボンズとスメラギさんの動向が気になるだけに、「やはり、2話分は欲しい。」と思う。 人は、それぞれ不可侵の領域(プライベートとかそういったレベルではなく、「他人にそこまで干渉されたくない。」という認識を得ることの出来る領域)を有しているわけだけれど、多くの人たちは他人をして、そうした自身を対象化できるわけである。 今回の描写は、「各登場人物だけでなしに、もしかしたらヴェーダもその一つに数え上げられるの?」という疑問を肯定する一方で、ネーナのキャラクター如何によっては、「ヴェーダは、ただのプログラムに過ぎない。」という事実を示しているとも言えなくもなく。つまり、この先として、イオリアの真実に更に食い込んでいく展開が予想されるわけで。 となれば、「目下として感想を記す上で、やはり、2話分は欲しい。」と、私として慎重にならざるを得ない。
[ 2008/02/03 10:30 ]
ガンダム00 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
| HOME |
次ページ≫
|