昨晩、『経済最前線』を見ていたら、岩間さんに怒られているような気がした。
というのも、番組を見る前に、以前において「心の支えとしている人」に「心内語馬鹿。死ね。」と言われたこと(今日として、当人は否定するかも知れないが。)を思い出し、自らの至らなさを強く意識していたせいもあるのだろう。
『経済最前線』は、大学生となって、その存在を知ってからは一応は見るには見てはいたのだが、『経済最前線』を欠かさず見ようとする気になった原因には、岩間さんの存在が大きいこと(
*)を思い出されて、責められているような気がしたのである。
*御存知の方は御存知だろうと思うが、岩間さんの前任のキャスターさんのときから、私は見ていました。そして何より、欠かさず見ようとする気があろうが、私は生きている人間ですので、毎度欠かさず見ることが出来るわけでもありません。(06年10月1日追記)◇
この世において、魅力的な人は、いるところにはいるものである。
だから、他人の魅力を感じることを、私は否定しない。
でも、今朝、考えることを考えるに、自身においては、岩間さんの存在が(私が魅力的に感じる)他の人たちよりも大きいのは確か。
岩間さんは、そうしたことを喜ばないかも知れないけれど、目下において、それは否定できない。
でも、だからこそ、ここのところ、同棲に至る人たちの心理が分かるような気がする。同棲できるからには、お互いに「子ども」ではないのだろうし、(馬鹿でなければ、)お互いの甘い気持ちだけに頼って出来るものではないことを分かっているのだろうから。
ま、そこら辺は、夫婦関係と同じなのかもな。
…。俺、こんな調子で、この先、一体どうなるのだろう。
[ 2006/09/30 20:36 ]
思慕 |
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先ほど、前出の記事を記している間とその後、何とも言いようのない気持ちになった。
「(表層として)“聞こえている”ことを前提として生きて行く上では、私自身もまた“生きている”必要がある。」と思った私は、「自らの喜怒哀楽を意識した上で、それを他人に押し付けずに、同時にそれに慣れよう。」と、心に決めたはず。
それが、自分の人間としての心を保つ上での活路になると思ったわけである。
そして、喜怒哀楽を意識することに必死だった頃から年月を経たのか、今では、当初の目的通りに、それに慣れて来ているように思う。
先の記事において「腹立たしさ」を表現した後に、考えることを考えていたら、ふと、そのことを思い出されたからね。
そして、「最近において、物の見方や感じ方が変わって来たように感じていた原因の一つには、それも関わっているのだろうか?」と思うに、何とも言いようのない気持ちになる。
今では、「“聞こえている”だけ。」と他人に言われても、そこまで腹立たしさはない。以前であれば、「“聞こえている”だけでも、大変なのに。」と思う気持ちが強かったのに。恐らく、こうして記すことが出来ることも、そうした気持ちの変化の後押しをしているのだろう。
これから先も、やはり、変化していくのかも知れない。
その変化が良いものとなるよう、自分自身、頑張らないとね。それは、誰が何を言おうと変わるものではないのだろうけれど、久しく忘れていた感覚ですね。これは。
[ 2006/09/29 17:59 ]
情報・私事 |
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前出の更新記事
『真面目』を書いた後、更新をするつもりはなかったわけだが、その文面を読み返していて、気になることが出て来たため、更新をすることにする。
というのは、以下の件。
岩間さんの魅力に参っているのが悪いのだろうけれどさ。俺、それにずっと耐えることが出来るほど強くはないですよ。 という件の、「耐えることが出来るほど強くはないですよ。」という部分において、「“耐えることが出来るほど賢くはないですよ。”の間違いでは?」という思念が纏わり付いていることを意識させられたため。
確かに、“賢さ”も関係してはいるけれど、その人の問う“賢さ”というのは、私の意識する“賢さ”とは異なるため、そのことについて記したくなったわけである。
◇
岩間さんが述べられるようなコメントなど(「番組冒頭のひとこと」など)は、情報を求め得て、その分析を可能とする人であれば、自然と導き出し得ること。その点において、私は否定しないし、岩間さんとて、否定するものではないだろう。
だから、私は常々、岩間さんが番組のキャスターを降板する日が来るのを怖れているわけである。
そして何より、私は自らが、情報を求め得て、その分析を可能とする人間ではないことは百も承知である。
だから、岩間さんへの気持ちは別としても、『経済最前線』のような番組は見たいわけである。
そうしたことを前提とするに、他人をして「“耐えることが出来るほど賢くはないですよ。”の間違いでは?」と思われることに対しては、正直、こちらとしては「その人は、このブログの一体何を読んでいるのだ?」と思わざるを得ない。
◇
ま、私自身、その人のことを良く知りもしないのだから、これ以上のことは言いかねるけれども、上に記した点において、腹立たしさを感じた。
以上。
<<追記>>
先ほど、MSN資格・学習のチャンネルで、「ひとまわり大きな営業マンになるためのレッスン」という記事を目にした。そしてその中の人事教育コンサルタントの言葉に対して、これまでの経緯に基づき、納得するものがあった。
私は、就職活動をしている際、「お客様第一主義」を謳い実践しているとされる企業を志望したわけだが、「お客様第一主義」というのが一体どのようなことを指すのか、具体的には、とんと見当が付かなかったわけである。
が、「なるほど。そういうことか。」と。
そして、当時として、今よりも、(表層として)“聞こえている”ことを意識するが故に、顧客のことを執拗に(?)知ることに抵抗があるであろう自分自身のことを顧みて、「これでは、確かに無理だわ。」と、思う他もなく。
正直、今でもどうかと思うくらいだから。
つくづく、この人生は、よく分からない。
[ 2006/09/29 17:26 ]
ご注意下さい。 |
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私には、一体どういうことが真面目なのか、よく分からない。『不真面目のすすめ』という題目だったか、誰かの作品を読んだ際にも、それにより逆に、真面目というものが一体どういうことなのかよく分からなくなった。
人は、真面目に生きていればこそ、長じるにつれ、不真面目な生き方も自ら(その人自身)においても許容するようになるのであって、「不真面目というのは、飽く迄も、人生において真面目に生きていることが前提にあるのでは?」という疑問を得ているため。
これまで、その疑問を解決してくれること・ものに、出会ったことはないため、その疑問は未だに続いている。そしてそれ故に、真面目とか、不真面目とか、その線引きをする人の心理が、よく分からない。
でも、思うところがあって訪れた、リニューアルした
『経済最前線』の番組HPのトピックである「皆様から寄せられた声」に掲載されている、カウント伯爵さんを始めとする人たち(?)の声には、「岩間さん、愛されているなぁ。」と思うに、つい笑ってしまった。
もちろん、嬉しい笑いですが。
自分には、あのように小奇麗にまとめて書くことのできる自信はないため、番組HPに投稿する形では、その手のことは書きようがないけれど、それだけに、あのような投稿内容があり、何とも嬉しくかつ面白かったなぁ。
ただ、一つの疑問はある。
というのは、石山さんが9月22日の「石山智恵のニュースにひとこと」で述べられているように、
「私たちの仕事は、企業の売り文句に惑わされることなく公平に丁寧に情報収集してお伝えすること。」ですから、経済が政治と密接に関係していることを考えると、「時間枠の大幅な拡大は、逆に番組の質を落とすことに繋がりはしないだろうか?」とも思うわけである。
だから、時間枠が拡大されるとしても、そこまでの期待はしていない。質を落として貰いたくはないから。
かくいう自分も、これまでに時間枠が増減される過程においては、「岩間さんを見ることの出来る時間が増える!(減る!)」などと、一喜一憂したことがあるわけだから、時間枠の拡大を求める声に対して、非難の声を余り向けられるわけではないのだけれども。
とはいえ、時間枠の拡大により、岩間さんの可愛らしさを(テレビ画面越しとはいえ)より目の当たりにして、生綿で首を締め上げられるような感覚を再び覚えるのは、出来ればもう勘弁して欲しいです。…。岩間さんの魅力に参っているのが悪いのだろうけれどさ。俺、それにずっと耐えることが出来るほど強くはないですよ。
[ 2006/09/29 13:22 ]
思慕 |
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アニメ化もされ、映画化もされた、ハチクロ。今日、その『ハチミツとクローバー』(羽海野チカ/著)の10巻を、購入し、読了しました。
この漫画を知った初めてのときは、絵から感じるものがうざったらしい感じがして、嫌だった。その次に手に取ったときには、「面白いのだろうか?」と、思った。そしてその次に手に取ったときには、「面白い。」と、思った。そして今日、読み終えた時点としては、溜め息を吐きたい気分とでも言いますか。
一応、「片想い」自体は、それなりに重ねて来ているため、その内容としては分からないわけではない。
でも、主人公たちのような関係を築いたことのない一人としては、「ふ〜ん。」と、思わないわけでもなく、読了した後としては、「へぇ〜。」と、思わないわけでもなく。詰まるところとしては、微妙です。
◇
本当は、10巻が発売された当時は、それを購入するつもりはなかった。
でも、発売されてから数日を経る中で、何時の間にか、購入したい気持ちになり。
その理由を考えてはみるものの、上手く言葉にならない。
…。最近、岩間さんの笑顔を見ることを、心理的に拒否している自分がいることと、関係しているのかも知れない。
たとえ、(表層として)“聞こえている”としても、目下において、岩間さんに会うことの出来る見込み・見通しは、本当にない。だから、あの笑顔を向けられると、胸が引き裂かれそうな感じがする。
それが自分に向けられていると勘違いしてしまいそうになる自分と、(「いくら“聞こえている”としても、それはないだろう。」として、)理性を保とうとする自分と、その狭間で揺れ動くことに、疲れて来ているわけである。
ハチクロを読み始めたときは、そうした気持ちへと至る以前において感じる事々の参考になりはしないかと、それを求めたものだ。
でも、そこにあるのは、個々の登場人物の背景に基づき、スケールも様々であるとはいえ、飽く迄も『青春』であって、『青春』に終わる作品であったことを、10巻を読了することで、はっきりと知ったわけである。
そして私は、思う。「私は、『青春』を送っているのだろうか?」と。
◇
私は『青春』を送っているつもりはないし、今日として、作中の主要な登場人物一人一人に見られるような感慨を得ているわけでもない。
岩間さんの前に、とても好きだった人への気持ちに基づき、自らに基づいて他人との間に何かを求めること自体、私は諦めて来ているし、その事実からは依然として抜け切ることは出来ていない。だから、「はぐ」や「花本」や「森田」の気持ちは頭では分かるけれども、自身に基づけば、分からない。
「家族」という意味では、何故か、岩間さんよりも熊谷さんの方が近しい感じがするのは事実。でも、岩間さんに対して「愛している。」という言葉を向けることを維持できなければ、自らが狂いそうに感じるのも事実。少なくとも、今は、ね。
岩間さんの声、姿。今の自分は、それらにより、切ないくらいに落ち着く。
だから、このまま、ずるずると気持ちに巻き込まれていくのは、怖いし、辛い。
でも、以前のように、この手のことで泣くことが出来なくなって来ている自分がいることも知っている。…。思いの外、自分の心の内って、荒んで来ているのだろうか。望みようがなく、期待のしようがなく、かといって、そうそう諦めることの出来ないことだけに、仕方のないことなのかも知れないが。
人間の心を維持しつつ生きるって、本当に大変だ。
[ 2006/09/27 21:28 ]
番組 |
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