に目を通す必要性を意識させられるに、最初は、「『国際問題』電子版の2007年6月号をチェックしていなかったからかな?」という疑問を持ったものだけれど、その後として、
先頃、最高機密に属するイージス艦関連の情報漏洩について騒がれたが、「今更(当時としては、今頃)、何故、こうも扱われるのだろう?」と、疑問だったわけである。その理由を、ああした形で示されるに、納得が行ったわけである。
の内容に目を通して後のことだけれどさ。一応、冷戦下で子ども時代を過ごしているだけに、情報漏洩防止策を拒否するとかしないとかいう判断が出来ない一人としては、「はぁ?」と、思わないわけでもないとはいえ。
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イージス艦関連の情報漏洩に遅れること先日、冷戦下でのCIAの違法工作についてまとめた文書が公表されました。文書自体は指示が出されて作成されており、その公表が今になったというわけで、その内容として示されているのが、その全容なのか一部なのかは別の話としても、やはり、興味惹かれる。
というのも、アメリカにおいて(その全てかどうかは忘れたが)機密文書が一定期間を置いて公開されるのは、制度上認められていることであるわけだが、日本において目に見える情報漏洩防止策が採られるとして、「その辺りのことが考慮されるのだろうか?」という疑問があるから。
もちろん、日本においても書籍になる形で、その実として嘘か本当かは分からないような情報が提示されることは多いけれど、機密文書が機密文書であったものとして(公開されるまでに一定期間を置くとはいえ)公開される仕組みは、ないように見受けられる。正確には、これまで見聞きしていることを前提とすれば、それと擬似的なものがあるようなないような、そんな感じ。
戦時中の日本において、治安維持法が施行されていたことは名高いが、その実として“スパイ活動”の取り締まりがあったことは言うまでもない。だから大抵の人たちは皆、非国民とされることを恐れた。冷戦下においてのアメリカでの赤狩り然り、日本での赤狩り然り。当時として、“スパイ”とされることへの恐怖は、並大抵のものではなかったと思う。
しかし、そうした“スパイ活動”の取り締まりが進められるに際し、スパイではない無辜(むこ)の人たちまで“スパイ”と括られてしまう魔女狩りへの反省もあり、法治国家を謳う手前、スパイ防止が目に見える形で成されることは難しい。だから、文書公開されたCIAの違法工作は、別に珍しいことではない。
アメリカの場合は、文書公開が制度としてあるから、ああして示されているだけで、日本とてどうかは知れない。だから、日本の教科書に掲載される、沖縄の集団自決についての件において、旧日本軍の関与が削除されたことや、対イラク戦争に際し、防衛庁(現・防衛省)において監視されていた人たちがいたことなどについては、「然もありなん。」と、思わなくもない。
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何れにせよ、GSOMIAについて簡潔にまとめられた記事内容に目を通す限り、「そうだよなぁ〜。」と、思わなくもない一方で、PKO協力法が成立した当時(1992年)に寄せられた懸念についての言及には、少し首を傾げさせられることになった。
というのも、私の認識では、「日本が軍事大国への道を歩むことが出来たのは、日本国内を含めた世界情勢として、それを許す条件が整っていたため。」と、判断できるからである。
つまり、「日本に限らず、国内外の情勢として、軍事大国への道を歩む条件が整えられたならば、自ずと国はその方向へと動かざるを得ない。であれば、本当に軍事大国への道を歩むこと(並びにその影響)を否定するのであれば、そうした条件が整わないように人々は動くべきであって、そうした条件が整うような動きをするべきではない。」ということ。
そして、今日に至るPKOの成果は兎も角として、かつて軍事大国への道を歩んだ日本においても、統治上の都合もあり各地において何もしていなかったわけではないことは事実だから、「それが、PKOの皮を被っただけで、その実質としては何ら変わりはしない。」と、言われたとしても仕方ないのである。
恐らくは、それへの配慮から、日本のPKO活動は、その成果にも拘わらず「付随的任務」とされることに甘んじることを余儀なくされているわけである。そして、冷戦後として米ロを始めとして対テロで一致している昨今においては、ODAが本当に現地で効果的に利用されているのか不透明である以上、ODAの額を減額し、PKOによる国際協力の程を深化させることを選ぶのは、何ら不思議なことではない。
とはいえ、それは、リンク参照している記事内容に目を通す限りでは、長年をしてアメリカの意向を汲んで来た賜物である面があることは否定しようがないわけであり、自衛隊の派遣対象となる現地の人たちも馬鹿ではないから、それを意識したことをする人たちがいても不思議ではない。
しかし、アメリカの意向ばかり伺っていては、アメリカも本当の神様ではないわけだから、日本は日本で出来ることをしていかないと馬鹿を見るわけだろうから、現状を踏まえつつ、私のような門外漢などには知り得ないところで頑張っているのかも知れない。
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以前(1992年頃)は、自分の感想は別として、自衛隊の人たちがPKO要員として派遣されることへの相当なショックがあったけれど、最近では、その成果のほども手伝ってか、以前ほどのものはない。アフガン、イラクと、アメリカと実質的には協同で動くことが示されて来ているし、海外派遣に慣れて貰う自衛隊の人たちに将来的に敷かれた道が一体どのような道なのかは、想像に難くはないわけである。
ただ、私としては、それを、アメリカが国内外にどのような効果を齎すものとして捉えているのか疑問。
アメリカは、対イラク戦争においては、日本にその戦費超過分の負担を求めないことを示してはいるけれど、将来的には、資金面以外の負担も求められることは考えられないわけではないと思う。アメリカが幾ら、「自由」のために戦争をする国だからといって、戦争をするのは飽く迄も兵士。
「テロ」との闘いが長期化すればするほど、兵士となる人たちも、兵士となることへの抵抗を今以上に見せるようになることは必至。となれば、アメリカは、米軍を退職した人たちを利用するとはいっても、アメリカ国内以外に、現地で活動する兵士を求めることを選ばざるを得ないはず。
仮に、そうなった場合、その矛先が向けられるのは、まずは日本の自衛隊の人たち。そして、日本の一般の人たちであろうことは疑うべくもない。とはいえ、安全保障上、アメリカに寄るところが大きい日本において、そうであったとしても避けようがない。
だから、隣国である中国とアメリカが仲の良い内に(同じく隣国のロシアとアメリカの関係は微妙なものとなって来てはいるものの)、中国との関係も一定度は確実に進めていないとならないのだろう。「勝手知ったる何とやら」で、結局はアメリカに従うしかないのだとしても、アメリカも本当の神様ではないのだから、日本として出来ることをしないといけないのだろう。
以前の日本においても、パレスチナで見られるようなファタハが採ったような方針を選ぶのか、ハマスが採ったような方針を選ぶのかで、すったもんだあったようだけれど、現状では、ファタハが採ったような方針に落ち着いている。それを前提として今の生活があることを考えるに、「日本として何をしたって、何も変わらないのでは?」と、思わなくもないけれどさ。
・・・、国内外の情勢を前提とした安全保障を睨みながら国政運営を行うって、考えただけでも難しい。俺は、そのための専門を経たプロではないから、「難しい。」という言葉に甘んじても問題はないけれど、世の中においてプロとされる人たちの頭の中で考えられていることが俺と五十歩百歩だったら、それはそれで悲しい。自身の将来的な事事に思いを巡らせるに、「(こちらの方が)もっと難しい。」と、つい考えてしまったが。
米豪演習 日本がオブザーバー (NHKオンライン 2007年6月26日 4時33分)〜07/06/26追記 アメリカとオーストラリアが、アジア太平洋地域での有事に備えて、過去最大規模の合同軍事演習をオーストラリア各地で行っており、今回初めて、日本もオブザーバーとして参加しました。
この演習は、アメリカとオーストラリアが2年に一度行っているもので、今回は、今月15日からおよそ3週間の予定で、双方あわせて過去最大の2万7000人以上の兵士が参加しています。演習のシナリオは、仮想敵国の攻撃を受けた第三国を多国籍軍が助けるというもので、大規模な上陸作戦や市街戦など、さまざまな実戦訓練が行われています。
25日は日本の自衛隊が初めてオブザーバーとして参加し、訓練の様子を視察したり、米豪間の共同作戦の進め方について説明を受けたりしました。
これは、日米豪3か国による防衛協力の強化の一環として実現したもので、参加した防衛省統合幕僚監部の鈴木直栄1等陸佐は「日本にないような広大な演習場を使い、米豪連合軍がダイナミックな演習を行っているのを見ることでき、たいへん勉強になりました」と話していました。
北朝鮮が核の放棄に応じるかが注目される中、今回の演習は、アメリカが日豪両国と連携を強めながら、この地域の安定に対する脅威に力で対応していく姿勢をあらためて示すものといえます。