不幸 

 今日、『7SEEDS』(田村由美/著)の11巻(最新刊)を購入し、読了した。収録されている内容は、立ち読みする機会を逸しているものが多かったから、素直に嬉しかったものの、その内容が故に、勉強にもなった。

 そしてその後、ゲイジャパンニュース『ロシア正教会教父 学校教育では「不幸な同性愛者と老いゆく売春婦を見せるべき」と発言』(2007年8月31日更新記事)に目を通すに、複雑な気持ちになったことは言うまでもない。

 その理由の一つに、先日に放送されたRTRにおいて、ロシア正教会の方が「宗教家が政治的に重要なポストに位置づけられることはない。」と明言されていたことがある。彼は同様に、そのようにテレビ(RTR等)で扱われるほど注目されることへの懸念も示されていたように記憶しているから、尚更。

 共産党体制において、その支配体制を否定する要因となるものは、当然排除されなければならない。だから、歴史的な事実として、ロシア正教会にもその矛先を向けられたのは、私として分からないではない。それ故、それに絡む今日的な事実について、私は言葉を尽くすことの出来る理由はない。
[ 2007/08/31 21:33 ] 情報・私事 | トラックバック(-) | コメント(-)

poverty line 

 正直、こうして曲がりなりにもブログを利用することの出来る身で、“poverty line”に関して記すことは躊躇われたのだが、ここ一両日中に目を向けた内容について考えるに、記した方が良いかと思われるため、記すことにする。

 生活を考えれば、私が品性を疑われるようなことをしたところで、本当は問題はない。別に、品位を求められるような立場の人間ではないのだから。でも、それを事実として認識しながらも、これまでにおいて、それに徹し切れていない自分もいる。

 「武士は食わねど高楊枝」という言葉があるが、恐らく、そうした言葉の前提にあることを背景の一つとして育って来たせいもあるだろう。が、私は武士ではないから、当然というべきか、それに反発を示しつつ、育って来てもいる。

 下手なプライドは、自らを律するどころか、他人を蔑む原因にしかなり得ない。恐らく、日々成育する中で、それを分かっていったがためなのだと思う。そしてそれが故に、未だに迷うのだとも思う。
[ 2007/08/30 12:57 ] 情報・私事 | トラックバック(-) | コメント(-)

Abe 

 安倍首相の、「安倍」という姓。「あべ(Abe)」という音で覚えるだけで、その漢字までは無視していた。が、先ほど、指摘を受け、「安倍」という漢字に訂正。

 漢字を間違えたまま放置していたのかと思うと、冷や汗ものだよ。
[ 2007/08/28 19:48 ] つれづれ | トラックバック(-) | コメント(-)

四国連盟 

 先日、安倍首相がインドを訪れた際、安倍首相は四国(米・日・豪・印)連盟構想なるものを提示し、インドのシン首相に参与を求めたらしい。が、シン首相は、それに対する返答は保留したらしい。恐らく、政治的に適切な判断だったと思う。

 インドと中国との関係は、最近は良好であることは伝えられるものの、それは、お互いの経済発展が前提にある関係に他ならない。そして東南アジアの東西回廊(日本と中国の出資により、東西に交差する道路網が整備された。)周辺の発展を進めるとなれば、インドと中国との関係が良好であることは必要不可欠。

 中国にしろ、日本同様欧米に目を向けてはいるが、それだけに、自国の発展は基よりアジア地域の発展を堅実なものとすることを否定するわけではないだろう。正確には、アジア地域が今後どうなっていくかの鍵の一つを、中国が担っていることは否定しようのない事実。

 中国も、それを認知しているとはいえ、日本においてアジア太平洋地域に座した展望を抱き易いことと同様に、どちらかと言えば、ユーラシア大陸に座した展望を抱くことを余儀なくされる。それ故、上海協力機構(SCO)が結成されるに至ったのも、何ら不思議なことではない。

 各国としての思惑もあろうとはいえ、そうして動いている事実があることは、評価するべきことには違いない。
[ 2007/08/28 18:34 ] 情報・私事 | トラックバック(-) | コメント(-)

癖 

 “聞こえている”ことに悩むに当たり、私が一番懸念したのは、八つ当たりとも取れる感情を抱くこと。その感情を抱き続け、その感情のままに物事を判断することを固定化されるとなれば、私自身にとってもメリットはないから。

 もちろん、人間として曲がりなりにも生きている以上、イライラとしないという方が不自然だし、イライラという言葉で片付けることが出来る感情も、その背景を探れば、その原因は様々。そして、その原因に、私個人において対応可能なことを進めようとすれば、正直、時間が幾らあっても足らない。

 私という単体に係わることなら、それに基づいて、ある程度は対処することが可能。でも、“聞こえている”ことを含めて考慮するとなれば、暗中模索も良いとこ。

 でも、以前において、俺は、「しなくてはならない。」と、考えた。今となっては、何故、ああも思い切れたのか分からないけれど、裏返せば、それだけ逼迫した心理的状況にあったということなのだろう。そして今日に至る道程の御蔭で、以前ほどの気持ちは、私にはない。

 正確には、これまで辿って来た経緯と、日々努めていることの成果だろうが。

 これで飯を食って行くことが出来れば、それに越したことはないのだが、そんな簡単に済めば、これまでにおいて悩んでは来ていないことも事実。それはつまり、私自身もまた、そうした事実を無視するというわけでもないけれど、距離を保つ必要があるということに他ならない。

 将来的な生活の不安もあるとはいえ、日々において、それが上手く出来ているかどうか不安だよ。
[ 2007/08/26 22:42 ] ご注意下さい。 | トラックバック(-) | コメント(-)