9月26日付の日本経済新聞のコラム『春秋』に目を通して知ったのだが、日本語大辞典によれば、「総理」とは「すべてを監督し処理すること。また、その任にあたる人」と説明されているとか。私として、「へぇ〜。」と、思ったことは言うまでもない。
そして、ここ数日において再考させられたことを記す必要性を認識させられた。
一身上のことを考えるにつけ、「私は社会的な貢献をすることが難しいこと」への認識に至るに、「私よりも社会的貢献・寄与するに適った人たちへの配慮を育むこと」を自らに求めるようになってから、随分と経つ。
一時は、それ故に、自分自身をかなり蔑ろにしたものだけれども、ここ数年を通じて、それを顧みるだけではなく、回復を図ることが出来るようになって来ている。それは単純に嬉しいことだし、出来れば今後としても大切にしたい。
◇
そのこと自体は、常々記して来ていることだから、「記そう。」とは思いつつも、放置していた。その一方で、頭に引っ掛かるものがあり、それが我ながら分からなかった。で、「総理」の意味を知るに、「記した方が良い?」と思い、今になって、こうして記すに至っている。
誤解して貰いたくないのは、私としては、「私のことを囃(はや)す暇があるのであれば、真面目に社会的貢献・寄与を果たして欲しい。」と、少なからず思っているということ。それが、これまでのような経緯を辿って来た末として、私の抱くことの出来る認識。
一身上のこと故、私は「総理」の意味に類することを自らに求めて来ている一方で、それだけに自身が生身の人間であり、一一般人に過ぎないことを否応なく突き付けられて来ている。だから、そうした認識を得ることに、後悔とか、躊躇いとか、そうした気持ちはない。もちろん、私もまた主観的に認識させられることはあるにせよ、努めて、事実を追うようにしている。その上での、認識。
ただ、私として、そうした認識を育むことに慣れ切ってしまっている部分があることは事実で、その事実が故に、他人の言動に際して理解することの難しいことが多くあることも事実。
そして以前であれば、その性質ゆえに「鈍感」と呼ばれることを通すことも正しい(仕方はない)とは思ったが、今の私としては、「自分の馬鹿さ加減を意識することと同様、他人の馬鹿さ加減もまた冷静に意識することが出来るようにならないと、駄目なのだなぁ。」と、考えることが出来るようになっている。
以前であれば、一身上のこと故、他人と係わるに際し、「その他人の馬鹿さ加減を意識することとなれば、その他人に将来に亘って迷惑を掛ける。」と、考えていた。が、今日としてアルバイトとはいえ働く中で、「俺が、そういう思考の仕方をしていては、何も変わらないのだなぁ。」と、認識を改めさせられて行っているわけである。
しかし、そうなればこそ、一身上のこと故に意識させられた責任感を放棄することに繋がり、不安がないとも言えない。もちろん、一身上のこと故の責任感を意識したところで、それを通して生活費が賄えるわけではないのだから、その責任感に伴う社会的行為など求められてはいないのだから、そもそもが放棄するもないのだけれどさ。
何れにせよ、そうして以前に比べて、段々と冷静な視点を培うことが出来るようになって来ていることは嬉しい。が、一方で、「それで良いのか?」という危惧もある。一身上のことを考えればこそ、そして全てに意識的に配慮することが出来ないことを加味すればこそ、冷静な視点を培うことは当然のことではある。その事実が故に。
恐らくは、そうすることでしか、感得するであろう多くの事事に伴う精神的摩擦(?)から身を守ることは出来ないのだろう。それは分かるとしても、それが高じれば、冷静ではなく冷徹な視点を求められるようになることは十分に予想される。一抹の危惧を抱かされるのは、その事実が故。
そして以前において、道徳的観点に基づいて自らに人間性を求めた私は、一度、それに徹することを拒否した。かくして、時を経て、再び自らに人間性を求める中で、今の私は、それを受け入れるかどうか迷ってもいるわけだろう。
…。何だか、政治家ほどボロイ商売はないように思えて来た。
そうして様々に考えるに、民主主義に準じる政治家として研鑽を積むということが、如何に大変なのか、今更ながら意識させられる。そしてその意識の示すことに従えば、以前からすれば、私において、「総理」についての理解が深まって来ているということ。
…。聞こえの良い言葉だけとならないよう、俺も気を付けていかなければな。
[ 2007/09/27 00:45 ]
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エイズ・ワクチン開発の必要性は、私自身、認めている。とはいえ、エイズ・ワクチン開発へのこれまでの道程を考えるに、私としては、そうは楽観していない。既に多くの薬が開発されている今日、更なる効果の見込める薬が開発される上で、多額の金額が提示される事実を鑑みれば、そう言わざるを得ない。
エイズ感染者が増えていることは事実で、その増加を考えれば、ワクチン開発が必要とされている(ワクチン開発が軌道に乗れば、相対して、既存の薬の価格低下を促すか、そのジェネリック薬ともなれば、更なる価格低下が見込めるかも。)ことは、否定しようのない事実。
とはいえ、エイズウィルスの性質が故に、ワクチン開発が難しいことも事実。
◇
エイズウィルスは、感染した後、各個体個体で劇的な多様な変化を見せることが知られている。そのため、感染する個体間で繰り返される劇的な多様な変化だけを見れば、対応策などないに等しい。とはいえ、その感染する個体となるのは、人間(ヒト)という生物。つまり、その人間の生物的な性質を利用した対応策を取ることは可能。
ということで、ワクチンなり薬なりが開発されている過程にあることを聞いてはいる。
ただ、今回臨床試験が中止されたワクチン「V520」が、一体どのようなワクチンなのか、私は知らない。
ワクチンだけに、エイズウィルスの仕組みを辿ったものであることは十分に予想されるけれど、それだけでは、エイズウィルスの変化を促す(もしくは、その劇的な多様な変化の只中において、「焼け石に水」のようなもの。)だけで、効果はないことも普通に予想される。
だから、臨床試験の中止がニュースとして扱われる以上、ワクチン「V520」は、(現代の科学的見地に基づいて、)それだけではないワクチンであることも推測できる。
そうしたことを考えると、エイズ・ワクチン開発の難しさを、改めて認識させられる。
将来的な見込み(希望観測)として提示されている、未来について扱ったドラマのように、各個体個体で劇的な多様な変化があることを前提として、各個体個体にあったワクチンなり薬なりが処方できれば、それに越したことはない。でも、現代の医学では、それは出来ない。
◇
そうしたことを考えさせられる一方で、疑問に思うこともある。
もう一年は前になるかも知れないが、BBCか何処かの放送局で、エイズ感染を疑われていた一人のイギリス人男性において、エイズウィルスが検出されなくなっている例が扱われていた。つまり、彼はエイズに感染はしたものの、エイズを発症することはないということになるわけだが、その一連の仕組みの解明のため、医局側が調査を進めているという。
その仕組みの解明次第によっては、一筋の希望がなくにはないようにも思うけれど、私はそうした具体的な調査に携わる人間ではないから、一体どのような調査が行われているのかは知れない。もしかすると、現代の医学では、その仕組みを解明することは難しいかも知れないし、そうではないかも知れない。
その男性内における(エイズウィルスの)劇的な多様な変化の末として検出されない状態になったのであれば、解明の仕様がないようにも思うけれど、果たして一体どのような調査結果が出るのだろう。(もしくは、出ているのだろう。)
ワクチン開発の道程として、この先一体どのような展開を見せるのだろうな。
エイズワクチン 臨床試験中止 (NHKオンライン 2007年9月23日 9時41分) エイズウイルスの感染の拡大防止が緊急の課題となるなか、アメリカの医薬品メーカーは、開発中だった有望なワクチンに感染の予防効果が認められなかったとして、臨床試験の中止を決めました。
このワクチンは、アメリカの医薬品メーカー「メルク」などが開発を始め、臨床試験を行ってきたエイズウイルスの感染を予防するワクチン「V520」です。この医薬品メーカーは、3年前から同性愛者の男性など感染のリスクが高い3000人を対象に臨床試験を行ってきました。
その結果、ワクチンを少なくとも1回は投与した741人のうち24人がその後エイズに感染したほか、ウイルスの増殖を抑える効果も確認できなかったなどとして、21日、臨床試験を中止すると発表しました。
エイズをめぐっては、世界で感染者が3950万人に上り、感染の拡大防止が緊急の課題となっています。こうしたなか、有望なワクチンが開発中止になったことについて、会社側は「エイズ・ワクチンの開発は現代の医学にとって最も難しい課題であることがあらためて明らかになった」と話しています。
[ 2007/09/23 15:04 ]
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諸々のことに嫌気が差し、気分転換のために
BANDAICHANNEL(バンダイチャンネル)に目を向け、
『CODE-E』なる番組に目を通すことに。
そして、第1話と第9話に目を通すに、「こうした番組が制作されたのって、俺のせいなのかなぁ…。」と、その関連性の真偽が定かではないことを考えてしまった。
◇
『CODE-E』公式サイトのキャラクター紹介のページに目を通すにつけては、尚のこと、そう思ってしまった。
物は言い様、使い様であることは事実として、その能力を超えた力を見出された場合、モルモットと化すことを自らに課すことを許す他はないのか。
なまじ、その力が故に、傍から見れば異常なほどに恐々とした日々のことを考えれば、それもまた「あり」かとも思う。でも、生きていることは事実で、人間の一人として認められたいことも事実。
とはいえ、背後に蠢く思惑や意志の力によって、そのどちらかが幅を利かせることになることも事実。
俺の場合は、それが本当に分からなくて悩んだ。そして今でも悩んではいるものの、分からないなりに、以前に比べれば知ることの出来ることは増えている。そしてそれ故に、改めて途方に暮れる気持ちにもなる。
本当に、変な人生だよな。
[ 2007/09/16 16:23 ]
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安倍首相が辞任を表明した。そして、「辞任表明をした。」というニュースだけを聞くと、彼が頗る無責任であるかのように聞こえる。とはいえ、私としては、下記参照したニュースなどに目を通すに、判断に迷う。
日本がPKO活動を進めるに当たり、それを実りあるものとしようとするのであれば、当然ながら、アメリカなどの他国が一体どのように動くのか注視することを余儀なくされる。日本一国だけで、問題の渦中に立たされている国や地域の支援体制を整えることが出来るわけではないから。
だから、PKO活動のみに拘らない協力関係を通じた、各国との情報交換の機会を一体どのように維持していくのかが、今後の日本として問われることになることは事実。でも、日本の人たちにして見れば、そのお題目なり意義は分かるものの、生活面も重視して貰いたいのが本音であろう。
従来から、改革の必要性は周知され続けて認知されて来てはいる。それ故、私としては、「恐らくは、それだけに、人々をして、“戦後レジームからの脱却”を謳う安倍政権に対しての期待と失望めいたものが大きかったことは、否めないのではないか?」と思う。
“戦後レジーム”と言葉で言うのは簡単だけれど、そのレジームの中で培って来た事事を晒した上で正すのは、誰がどう考えても容易ではない。戦後とされる頃から60年は経っている今日となれば、尚更だろう。安倍首相において、そうした流れの恩恵を少なからず受けて来ている自覚があるのかどうかは知れないが、事が“その上で、”のこととなれば、私として判断に迷う。
◇
歴史的に、上からの改革だけでは、事は成就しない。とはいえ、それで事が進むように、上の人たちは様々な手段を講じ、その力関係のために、一般人はそれに巻き込まれていく他はない。それ故、民衆とされる人たちは、それに対する皮肉や発想を培って来ている。
とはいえ、現代になり、大衆にも知る権利が認められる過程で、そうして民衆とされる人たちが培って来た皮肉や発想から乖離する視点を有する人たちが増えて行った。当事者であるはずなのに、客観的過ぎる視点を有しているとか、当事者ではないのに、その主観的な視点が(全くもって)有効であるかのような感覚を有しているとか、そうした人たちが確実に増えて行ったわけである。
もちろん、それは現実に馴染まないから、宗教に走る人たちもいれば、漫画などのフィクション世界に走る人たちもいる。とはいえ、宗教家や漫画家も馬鹿ではないから、その社会的役割を肯定化するために、今日に至るようなことをして来ているわけである。
そうしたことを考えると、改革を進めようとすれば、その前提となる社会を変えて行かなければ、その社会を構成する人たちの気持ち・心構え・意識などを変えて行かなければならないことは、理屈としては分かる。正確には、分からない人はいないだろう。
ただ、その遣り方として、一体どうするのか。
私自身、それを考えるに、悩ませられる。私は、その手の教育を受けてはいないのだから、当然と言えば当然なのだが、そうしたことを考えると、安倍首相率いる政府が示して来た事事(辞任表明内容も含む。)は、分からないではないような気持ちにはなる。
これが犯罪なら、劇場型犯罪と呼ばれるのかも知れないが、劇場型であることは、既に小泉さんのときに散々言われていること。もし、私の想定通りだとすれば、“劇場型”と判断されることで、その真意が覆されることを懸念してのこととは十分に予想される。
小泉さんの場合は、長期政権を担うことの出来るだけの人気があったわけだが、安倍首相においては、それだけの人気があるとは言い難いから。“劇場型”と判断される気運が高まることとなれば、人々の関心が果たして一体どのように動くのか分かったものではない。
そうしたことを考えると、私として、「(安倍首相は)無責任。」と言い切ってしまって良いものかどうか、判断に迷わざるを得ない。
◇
「これが、今の日本の現実なのだ。」と判断するには、私は知らないことが多い。とはいえ、知らないからこそ、政治家を身近な存在として知り得ないからこそ、こうした思考を自身に許すことが出来ていることを考えれば、やはり、変な気持ちになる。
考えさせられた内容が、「遠からず。」であることを願うべきなのか、そうではないのか。以前は、このグダグダとした気持ちが嫌だったけれど、今では、「現実を鑑みれば、仕方はない。」という気持ちもある。人間って、面白いよ。
安倍首相 辞任を表明 (NHKオンライン 2007年9月12日 18時50分) 安倍総理大臣は12日、総理大臣官邸で緊急に記者会見し、「海上自衛隊によるインド洋での給油活動を継続させるには、局面を変え、新しい総理大臣の下で継続を目指すべきだと判断した」と述べ、総理大臣を辞任することを表明しました。
緊急記者会見の冒頭、安倍総理大臣は「本日、総理大臣の職を辞するべきと決意した」と述べました。そして、「海上自衛隊によるインド洋での給油活動を継続するため、身をなげうつ覚悟で全力で努力をすると考えてきたが、残念ながら、わたしが総理であるということで、野党の党首との話し合いも難しい状況が生まれている」と述べました。
そのうえで、安倍総理大臣は「今後、このテロとの戦いを継続するために、この局面を転換しなければならない。新たな総理大臣の下でテロとの戦いを継続することを目指すべきではないか。きたる国連総会にも新しい総理が行くことが、むしろ局面を変えていくためにはよいのではないかと思う」と述べ、辞任の決断を急いだ理由を明らかにしました。
また、安倍総理大臣は「参議院選挙後、続投を決意し、内閣改造を行ったが、今の状況ではなかなか、国民の支持、信頼のうえにおいて、力強く政策を前に進めていくことは困難な状況だ。ここは、みずからがけじめをつけることによって、局面を打開しなければならないと判断するに至った」と述べました。
そして、今後の対応について「政治の空白を生まないように、なるべく早く次の自民党総裁を決めてもらいたい。本日からその作業に入ってもらいたいと自民党の役員らに指示した」と述べました。
さらに、後継の総裁について、安倍総理大臣は「まだ総裁選挙の日程的なことを決めているわけではない。後継の総裁について、わたしがとやかく言うことではないと思う。いずれにしても、新しいリーダーの下で力強い政策を前に進めていってもらいたいと思う」と述べました。
[ 2007/09/12 23:30 ]
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先ほどまで、多くの時間を割いて、
『アジアという地域:日本と中国の特異な関係』という記事を記していた。
そうして様々に考えるに、私として、「死にたくはないし、一方に媚びるでもなく、一方に尊大で威圧的な態度をとるでもなく、無難に生きて行く上で、日中両国民に求められていることって、まだまだ多いのだろうなぁ。」と、思う。俺は、(人心に基づけば自然なこととはいえ、)お互いに疑心暗鬼になっている状態が続いて、事態が変な方向に転がって行くのは嫌だから、こうして記すことを選んではいる。
今抱かされている、この気持ち。この気持ちが自分でも良く分からないけれど、正義感でも、達成感でもないことは事実。とはいえ、無力感や絶望感でもない。
多分、以前は、ニュースで扱われる概要に基づいた上で様々に思考させられただけだったのだが、今では、ニュースで扱われる概要にのみ基づいて思考することを、拒否するようになっているがためなのかも知れない。多くの事実を整理して、事態を把握して、適切な対応を図るって、本当に大変なのだな。でも、俺は、それが出来るようになりたいし、ならなければ駄目だと思っている節がある。
誰も、そんなことを(俺に)求めてはいないのかも知れないけれど、これを記すに際し、多くの時間を割いていることは事実。それなのに、それを後悔することを許されない意識もある。願わくば、こうして記すことが、誰かの役には立っていることを祈るしかないか。
[ 2007/09/11 23:23 ]
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