先ほど、『ガンダム00』の第7話と第8話の感想を記し終え、ようやく、
HPの該当ページにアップすることが出来た。
でも、恐らくは風邪による頭痛のためか、頭がぼんやりしている中で記したから、誤字脱字や(私の力量不足による)意味不明の部分があるかも分からない。「そうした部分があれば、後日にでも訂正したい。」とは考えているため、ご容赦の程。
私自身、頭痛の理由として、自身の心身不良が原因であることもあるのだが、プレッシャーを原因とした頭痛もあるため、正直その判断は難しい。でも、そうして一定度を記し終えた後の頭痛の緩和程度からすれば、自身の心身不良だけに原因があるわけではないことも分かる。
こうした関係性が、果たして良いのか悪いのか。正直分からない。現実として私は生きているわけであり、他の多くの人たちも生きているわけであり、死ぬその時が来るまでは生きて行くわけだから。
自身として気丈になる余地は、まだまだ大きいよ。
[ 2007/11/27 11:10 ]
ガンダム00 |
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私が生活の場で接する宗教と言えば、仏教が挙げられる。が、精神的に感応することを含めた上で、生活の場で接する宗教と言えば、キリスト教やイスラム教だけではなく、恐らくは他の宗教も挙げることを余儀なくされる。
私自身、それへの認識から、一一般人の身として、考えることのできることは考えて来たつもりだけれど、そうした視座に固執することに対して、他人が一体どのように考えているのかは知れない。
父親は、私が(“聞こえている”ことのみならず)同様の観点から国際ニュースを見ることに対して、「お前が見る意味はない。」というようなことを言う。
が、私自身として、世に披露されている程度の国際ニュースには一定度の関心を示して置かないと不安感を掻き立てられることは事実だから、(もちろん率先して見ないこともあるとはいえ、)その言葉に反し、よく見ている方だと思う。
◇
それはそれで良いのだけれど、それから一歩先に進めるべきなのか、正直考えあぐねているのも事実。
公務員試験対策を名目に、少しずつとはいえ勉強を進める中で、「試験対策として実るかどうかは知れないけれど、知っていて損はないことなのだなぁ。」と、思わせられることは多い。
同様に、「
外務省経済局国際貿易課や
経済産業省資源エネルギー庁(Agency for Natural Resources and Energy)から配信されるメールマガジンに目を通すことも、それへの理解度は兎も角として損はないだろう。」とは思う。
私自身、国際ニュースのみならず、メールマガジンの内容に際して、この日本という国が一体どのように動くことを考えているのかを察することで、(表層として)“聞こえている”ことに際して考えようがあるわけだから。
が、それは私の理屈であって、この身を考えれば、その理屈を解さない人が現実としていることも分かっているつもり。その上で、そうした関係者が世に示すことの出来るレベルで(それに対して)一体どのように考えているのか、興味がないとは言えない。寧ろ、「必要としている。」と、言えなくもない。
しがない一一般人の身の上で、現実として何かと制限されている一人としては、そうした要求をしたい気持ちはある。
というのも、将来的に生活していくことも覚束ない(現実として、そうした選択しか許されてはいないだろう)私に、変な責任めいたものを社会的に背負わされるのは、御免被るに余りあるから。
『生きる』って、言葉で言うほど簡単ではないよな。
[ 2007/11/18 12:05 ]
つれづれ |
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私には、恩師と呼べる人がいない。もちろん、名目的な恩師はいるし、その数は多いとはいえ、心から「恩師」と呼べる人は、いない。
でも、そうした考え方が出来るのは、大学生の頃に、多くの教官に師事する一方で、テレビを通して可能な限りの情報を得ようとする中で培って来たがためであることもまた事実。つまり、心から「恩師」と呼べる人との関係を、私は築いて来ることが出来なかったということ。
だから、そうした関係を築いているのだろう人たちの話に接すると、「へぇー。そんな感じなのか。」と、思う他はない部分が未だにある。『ガンダム00』の第6話を見るに当っては、尚のこと、そう思った。
◇
でも、HPの方に記した感想には、そうしたことには極力触れないようにした。
というのは、その内容として、どちらかと言えば毎度毎度のごとく情報量が多く、当然ながらその緻密な構成が故に考えれば考えるほど面白いのだけれども、それが故に、感想として記そうとする場合、全てを書こうとすると、時間的にも私の力量的にも無理があるため。
でも、可能な限りのことは記そうとしたために、それをして雑然とした印象を受ける人もいるかも分からないけれど。
もし、私にお金の余裕があり、将来的にも何も困らない生活を送っている身の上であるのであれば、私として可能な限り配慮できることはあるかも知れないけれど、現実としてそうではない以上、その程度で勘弁して貰いたい。
かといって、(それへの反応が)全く気にならないわけでもない。
とはいえ、私の場合は、露わになっている部分が多いだけで、その露わになる部分は他の人にも通じることもあることを考えればこそ、その辺りのことを分かってくれる人たちが、私が意図せずとも示してくれることに頼る他はないことも分かってはいるつもり。そしてそこまで気にしないように、気を付けてはいる。
が、「こうして記している時点で、まだまだ甘いのかなぁ。」とは思うけれど、その立場にある以上、弁(わきま)えることを求められているだろう一線を保つ必要性を認知はしても、晒されている状況を鑑みればこそ、一体どのように動くのかは各人の判断に基づくのも実際。
それを考えれば、こうして記すのも、多分、ありなのだろう。
[ 2007/11/12 22:55 ]
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今日は勤務日だったのだが、どうにも気持ち悪く、休むことにした。勤務先でのことが理由なのか、自分自身(一身上のことを含む。)のことが理由なのか、判断が付かない。もしかしたら、その両方かも知れない。
以前において、自身の思考と関係があるかと判断される事件なりが、日本国内外を問わず起これば、「それは自分が原因だ。」と直感的に受け止め、随分と悩んだ。そして今は、目を通すことの出来る社会的情報に目を通すように心掛けて来た結果として、「そうであるかも知れないが、そうではないかも知れない。」という認識に拠ることが出来てはいる。
が、自分でも、よく分からない気持ち悪さを抱かされることもまた、ある。
今もまた、そんな感じ。
◇
そのため、毎日新聞(電子版)において、ここ数日として扱われた記事にざっと目を通すに、「これも原因の一つなのかな?」ということがあった。
それは、「フィンランド南部トゥースラのヨケラ高校で7日、同校の男子生徒(18)が授業中に校内で拳銃を発砲し、ロイター通信によると8人が死亡、十数人が負傷した。」という事件。
男子生徒は自分の頭を撃ち自殺を図り、収容先の病院にて死亡。事件直前には、動画共有サイト「ユーチューブ」に、「ヨケラ高校虐殺−07年11月7日」の題名で、拳銃を持った男の写真が投稿されている。トゥースラは首都ヘルシンキの北約60キロ。フィンランドは国民の銃所持率が米国、イエメンに次ぎ世界第3位。ロイター通信などによると、男子高校生は先月、拳銃所持の許可を取得したばかり。フィンランドでは地元の射撃や狩猟クラブに所属すれば、15歳で拳銃所持の許可が下りるという。
私は、今朝に放送された『おはよう世界』に目を通して、初めて知ったものの、ZDFかどこかのテレビ局かは忘れたが、その取材によれば、その男子生徒の家は裕福な(?)家であり、ヨケラ高校に通う生徒たちもその男子生徒と同様、どちらかと言えば良い教育の機会を得ている人たちであるようである。そして男子生徒を知る人たちによれば、ここ数日として彼は不可解な行動を取っており、スターリンへの支持を示していたとか。
私は、その詳細について知る術がないため、様々に考えさせられることはあるものの、それ以上のことを理由に、「気持ち悪い。」とするわけにはいかない。が、このことに着目する上で感じた気持ち悪さと、こうして記す上で一定のカタルシスを感じていることを考えれば、多分、その程度のことを記すことは自身として適っているのだろう。
何れにせよ、気持ち悪さを感じる理由の一つとして、このことがあるにせよ、もう少し気丈にならなければならない。一人の人間としては、それを理由の一つとして甘受することも認められるだろうが、生活して行くことを考えると、社会的に甘受されることではないことの予想は付く。
幾ら、それ一つといわず、気持ち悪く感じることが重なっているのだとしても、それを踏まえて気丈に過ごして行くことが出来るようにならなければ、生活していくことは、どのように考えても難しい。
◇
かといって、こうした事件が起こり、それ(事件を起こした人、事件による被害者を含む諸々)への社会的対応を含めて考えると、一身上においてどうしても責任を感じてしまうのは事実だから、途方に暮れなくもない。以前に比べれば、「自分が考える以上に、他の人たちは理解してくれていること」も含めて考えることが出来るようになってはいるけれど、それに甘えないためにも、出来る限りにおいて、こうして記すようにしてはいるが。
精神的に強くなりたいけれど、強くなったらなったで、今感じているプレッシャーとは別のプレッシャーを掛けられる恐れは大きい。もちろん、それで生活することが出来るようになれば、それに越したことはないのだけれど、こういうとき、その事実を忘れてしまっている。
それを考えると、誰が悪いわけでもないとはいえ、一人の人間として生きている(生きようとしている)手前として、気持ちとしては堪らない。「衝撃が走る。」と、言葉で言うのは容易いけれど、少なくとも俺としては、その事実は全然容易くないことを意識させられる他ない。
フィンランド:高校で男子生徒が拳銃発砲、8人死亡 【ロンドン町田幸彦】フィンランド南部トゥースラのヨケラ高校で7日、同校の男子生徒(18)が授業中に校内で拳銃を発砲し、ロイター通信によると8人が死亡、十数人が負傷した。犠牲者は女性校長と生徒(男子5人、女子2人)という。
同通信などによると、男は叫びながら教室をノックした後、ドア越しに発砲したという。生徒たちは窓から逃げ出すなど校内はパニック状態になった。男は自分の頭を撃って自殺を図り、病院に運ばれ意識不明の重体。
事件直前、動画共有サイト「ユーチューブ」に、「ヨケラ高校虐殺−07年11月7日」の題名で、拳銃を持った男の写真が投稿されており、地元警察が関連を調べている。
トゥースラは首都ヘルシンキの北約60キロ。フィンランドは国民の銃所持率が米国、イエメンに次ぎ世界第3位。
毎日新聞 2007年11月8日 0時42分 (最終更新時間 11月8日 1時48分)
フィンランド:銃乱射の高校生、収容先の病院で死亡 【ロンドン町田幸彦】フィンランド南部の高校で起きた発砲事件で7日、拳銃を乱射した男子高校生(18)が事件後、校舎内で自殺を図り、収容先の病院で死亡した。
ロイター通信などによると、男子高校生は先月、拳銃所持の許可を取得したばかり。フィンランドでは地元の射撃や狩猟クラブに所属すれば、15歳で拳銃所持の許可が下りるという。
毎日新聞 2007年11月8日 12時40分
[ 2007/11/09 11:31 ]
情報・私事 |
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慕う気持ちがあり、肉欲があり、その双方がマッチすると、それはそれで感覚として気持ちが良い。それが事実とはいえ、ここ最近、それをずっと忘れていた。
岩間さんのことを諦めようにも、諦め切れない気持ちもあり、現実の諸々としたことを考えればこそ、「きっぱりと、諦めるべき。」という考えにも至る。テレビ画面を通して岩間さんを見ることが出来なくなって5ケ月ぐらいが経つわけだが、恐らくは無難な心境だろう。
今も好いてはいるけれど、それ以上のことが望めるわけではない。慕う気持ちが故に過度に苦しくなることからは一線を引くことが出来るようになったとはいえ、その認識に留まることで、身(精神?)を守っているのだとも思う。
◇
先日、『太陽の黙示録』(かわぐちかいじ/著、ビッグコミックス/連載)の9巻から16巻を購入し、読了した。そしてその登場人物の一人である周真瑜(ヂョウジェンユイ)のカリスマに関する言葉を受け、考えさせられた。
私は高校生の頃、その認識と感じるプレッシャーが故に、アンチ・キリストであることを自分自身に求めた。その事実を構成する事実はあるものの、その背景については当然分からなかったけれど、そうすることで、感じるプレッシャーは幾らかマシになったわけである。
で、周真瑜(ヂョウジェンユイ)のカリスマに関する言葉を受け、「俺が、自身にアンチ・キリストであることを求めるに至った背景理由の一つには、それがあるのかも知れないなぁ。」と、考えさせられたわけである。
今は、自分がアンチ・キリストであるとは思ってはいないけれど、それは自分自身が如何に無力な人間であるかを具体的に認識して行く過程があってこそ。「幾ら勉強したところで、たとえ勉強をすることが出来たところで、立身出世という言葉に表現されるような意味で社会的に生きて行くのは難しい。」という視点に始まる、それ以降の過程があってこそ。
その過程に際し、岩間さんを慕うようになった御蔭で、少しはマシになれたが、それだけに、現実の諸々としたことを考えればこそ、「きっぱりと、諦めるべき。」という考えにも至るものの、諦め切れないのだろう。
こればかりは、本当に、どうにも仕様がない。
[ 2007/11/06 13:55 ]
思慕 |
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