先ほど、
『ガンダム00』の第24話・第25話の感想を漸くアップすることが出来ました。急いでいたもので、誤字脱字があったら申し訳ない。後日訂正したいと思います。予定としては、今から大体5時間ぐらいは早くにアップする予定ではあったのだが、他のことをしていて、それに時間を割くこととなってしまい、今の時間になってしまいました。
今読んでいる本の中でも、“無意識の悪意”については言及されており、「へぇー。」と、思う他はないのだが、別にそれ自体は奇を衒ったものではないと思うため、そのことに際してグダグダと余り言いたくはない。ただそれだけという話。
何れにせよ、番組の内容に際して勉強になっていることは事実で、第2期が放送されるのが素直に待ち遠しい。『R2』を見ることが出来るかどうかは疑問だけれども、逐一感想を記す態勢にはないため、余り期待はしないで下さい。
何故、ここまで記すかと言えば、今回の感想を記すに際し時間を置いていたら、何とも表現し難いほどのプレッシャーを感じる状態にあったため。「俺にも予定があるんじゃ。ボケー。」と、怒鳴りたい気持ちがなきにしもあらずと言えるが、あのような状態になるようなことを毎度毎度寄せられても、正直困るからな。
願わくば、時々感想を記すことがあるかも知れない程度の認識で勘弁して下さい。冗談でなく、本当に御願いします。
『ゲイ・マネーが英国経済を支える!?』(新書y190 洋泉社/出版)
入江敦彦(Ilye Athico)という方が書かれた本です。景気が続くためには、内需の拡大が必要とされていることは事実ですが、その担い手の一角として台頭している人たちの遍歴について簡単に扱った本です。面白いですよ。
[ 2008/03/30 22:08 ]
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例の如く、HPのレイアウト変更を進めている。
本当は、そんなことをしている暇はないのだが、今日知ったニュースについて考えるに、「該当するページに加えた方が良いか?」と思った末の行動。その量が故に、未だ、アップするまでには至っていないとはいえ、我ながら、「こういうことを考えていたんだな。」と、思い出されるというか。
今も心理的な余裕はないのだけれども、以前に比べれば、今の方が心理的余裕がある状態になっている。そもそも、書き続けてアップしている理由は、その過程に基づく変化を肯定することにあったわけだから、概ね目算通りということで、有り難いやら嬉しいやら。
事実として、“聞こえている”とはいっても、その領域では他人との距離が近過ぎるために、物事に際し冷静に見ることの出来ない部分はどうしても出て来ざるを得ず、その辺りのことを溜め込んでしまう。それを可能な限り解消する上で出来ることとして位置付けているわけだけれど、何だかな、侘しいような気持ちにもなる。
その実として、ずーっと、ずーっと、続けて行かないと意味がないということだから。
誰が何と言おうと、それは普通に難しいことだよ。だから、何だか侘しいような気持ちになる。
[ 2008/03/28 22:58 ]
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「(他人と)向き合う」というのは、簡単なようで、結構難しい。ただ単に話せば良いと言うわけではなく、その相手に「関心を持っていますよ。」「関心を示していますよ。」というメッセージを定期的に織り込んだことを示すだけではなく、それが実際に適うものでなければならないわけだから。
つまり、お互いに、ちゃんと相手方を見ていないと、そもそも会話自体が成り立たないわけである。
私として、理屈としては、それを分かっているのだが、生きて行く上で一身上のことを無視の出来ないこととして意識するようになって以降、その理屈を踏まえた上で、その理屈を無視したような言動を取ることを自らに課すことになった。
でも、それを通し続けることが出来るほど、世の中甘くはないわけで、正確には、人間というのは優しい生き物であるわけで、アルバイトとはいえ勤める中で、四六時中その事実を突き付けられている。が、その事実を突き付けられた上で、「何が出来るか。」となれば、少なくとも目下としては「何も出来ない。」ということになるわけで。
◇
今日、
HPの私事(わたくしごと)のページに、『向き合う』というタイトルで少し書いたけれど、要は、そんな感じ。上記でも分かりにくかったら、ごめん。
とはいえ、書いてみて、「我ながら、怖いこと書いたなぁ。」と。
ま、一身上のことを意識する過程で、どうしても培わざるを得なかったことがあるから、それを含めたことをして自分が人間ではないような認識を持たれても仕方ないと言えば仕方ないのだけれどさ。そもそも社会的に人間の一人として扱われているのか疑問だから、そこまで変なことではないのかも知れない。
「他人を人間として見ていないこと」を意識した頃は、丁度、田村由美さんの『BASARA』が連載されていた頃で、藍良(あいら)の方の“蒼の王”の言い分に通じる部分を認識してギョッとした。そして、更紗の言葉のままに、「変わらないと駄目なんだ。」みたいなことを考えたものだ。尤も、「他人を人間として見る」ということが一体どういうことかさえ分からなかったから、逆に悩みもしたが。
他人は、俺と似たようなことを考えるかも知れないけれど、俺とは違う人間であることは事実で、その違いを前提にすればこそ、「他人を人間として見る(接する)」ということが一体どのようなことか分からなかったわけである。で、自身の得た結論のままに、それ以降行動することとなった。
が、それではやはり追い付かなくて、精神的に相当厳しい状態になって、修正しようにも、「こうして記したりする機会を得ることが出来たのは、大学生になってから。」ということもあって、逆に落ち込む部分があった。「修正したくても、修正できない。」という現実に甘えるとかそういうこと以前に、先に取り組まなければならないことを認識させられていたわけである。
そうしたこともあって、「(他人に)向き合う」ということは、本当に難しい。その辺りは、私事のページに書いてある通り。ただ、私自身の特性というか何というか、「この日には普通に出来ているし、していることが、また別の日には普通に出来ないし、していない。」という部分があるため、正直、自らが人間として他人に接することが出来るかどうか、それが疑問といえば疑問。
自身としては、その特性を鑑み、「出来ることの幅を拡げて行けばいいじゃん。」という結論を下す他はないのだが、それに努めるにしても、仕事をするというのは、アルバイトの身とはいえ、そう簡単ではないわけで。同僚の人が怒ったりする理由が分からないわけではないこともあるのは、そういう意味。尤も、同僚の人たちも完璧な人たちではないわけだから、俺自身、配慮するべきことはあるにはあるのだが、事に拠ることも事実。
その辺りで、つい、悩んでしまう。というのも、私個人としては、一身上のことがあるために、出来る限り、泰然自若の状態にありたいわけだが、以前ほど内面(他人と接する中で思考する事事&他人の思考として察知できること等)に頓着しなくなって来ているために、それ以前からの反動かどうかは知れないが、我ながらよく分からない状態にあるから。
その理由の一つとしては、「(他人と)向き合う」ということにあることは、ここ数日を経て気づくことが出来たとはいえ、結構、今更なことのようにも思わなくもない。「今以上の関係に踏み込んでまで、私に向けてその人自身を晒したい人などいるのか!?」と、思わないではないから。要は、「(他人と)向き合う」以前に、他人というか人間というか、そういうものへの“不信感”が根強いわけである。
俺が性格的に冷たいとすれば、その辺りのことが確実に絡んでいるため、それへの対処は本当に難しいのだよな。で、ここで止まっているのが、目下の私。心情としては、そこから一歩か二歩は確実に進めたいとはいえ、哀しいかな、それは煙を掴むようなこと。厳しいよ。一般の方法論は、それへの好悪以前に、多分に適用できないから。
[ 2008/03/27 23:00 ]
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ここ最近感じていた変化をHPのレイアウトに反映させるべく、その変更のために出来得る限り時間を費やした。が、流石に、全てを終わらせることは出来ず、後は細々と変更して行くこととなりそうである。ただ、そうして時間を割いて、分かったこともあった。
それは、HPの該当ページに記したけれど、その後、熊谷さんの
『ミュンヘン日記』(2008年3月24日更新記事)に目を通すに、「昨日に放送された『きょうの世界』の10時台の内容に、目を通すべきだったかなぁ。」と、一思案してしまった。“過ぎざることは及ばざるが如し”で、仕方ないのだけどさ。
今年の復活祭関連のニュースを聞いていて、「へぇー。」と、思うことが幾つかあり、影響は大して無いように思っていたのだが、昨日に記しているように復活祭のことに留意することを考えていたら、プレッシャーが和らぐのを感じたため、「やっぱり…。」と、思う他はなかった。でも、あれはあれで良かったのだろうし、だから多分、HPのレイアウト変更をすることが出来るまでに至っていたのだと思う。
◇
とはいえ、今回の中国批判については、私としては本当に難しい。
私はどちらかと言えば、中国の秦剛報道官のことを好ましく見ているし、彼が言う言葉を、無碍に否定するような気持ちはない。そして、私はどちらかと言えば、ダライラマ14世のことが嫌いで、彼が言う言葉を、宗教的な背景もあり尊重はするものの、それ以上の判断材料を持たない一人としては、黙する他はない。
そもそも、今回のことにダライラマ14世その人が直接関与していなくとも、チベット人たちにおいて宗教的・文化的な支柱として彼が存在することを考えればこそ、中国側が非難することも分からないではないし。
そのように思いはするものの、真の意図が一体何処にあるのか。こういうことって、本当に謎。19年前に比べ、今ではネットが発達しているにしても、それを中国当局が分かっていないわけがないし、一連のことを通じて一体何が示されようとしているのか。本当に分からない。
以前の別のニュースでは、「中国当局者は、最早高齢で、旧い考えを持っている人たち」ということを示すような内容のものがあったけれど、幾らなんでも、それを含めた事実を示したいわけではないだろうし。
もしかすればもしかすると、中国でも結構動いていて、その動きをサポートする形で各国が動いている、ということなのだろうか。少なくとも私は、今回のことについて、事実の一端として示されることだけに目を遣っていたら駄目な類のことであるのは明らかなように思うのだが。
国家体制の安定を図りつつ、国内の変動を可能とする。本当に、難しいと思うよ。こういうことを考えていると、人によっては共産党支持者であるように思うかも知れないけれど、私は別に、共産党支持者でも何でもない。今回のことに限っては特に言えることだが、中国の政権与党が共産党とかそうではないとか、そういう人は少々気にし過ぎだと思う。
[ 2008/03/25 22:29 ]
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復活祭です。が、私はアルバイトに精を出していました。とはいえ、調子が悪く、普段よりも気も疎漫ろな状態で、正直参った。
というのも、その理由の一つとして、私はWAON(イオン系列のカード)を利用しているのだが、先日までは何事もなく使うことが出来ていたにも拘らず、今日使う段になり、使うことが出来なくなっているし、「なんでやねん。」と、別にそういう人でなくても言いたくなるわけであり。
一応はちゃんと手続きはしたから、カードにチャージしている残額分は返金してくれるのだろうが、その金額が金額だけに、泣きそうになった。残額として8000円ぐらいは確実に残っていたわけだから、気持ちとして普通に泣きたくもなる。(実際には泣かないけどね。)
で、今日の『きょうの世界』(NHKBS1)の10時台では、ラサの暴動について扱われているらしいが、「距離を置いた方が良いのかな?」と考えるに、目を通してはいない。アメリカABCにおいては、広報合戦になることは承知の上で、アメリカが(恐らくは中国も)動いていることは示されていたから、「俺は、その方が良いのかな。」と。
俺は、本当に色んな人たちがいることを前提とした上で対応すること・生きることを是として来たため(そうするしかなかったため)、目下としてビジネスライクな対処をするのは本当に厳しい。でも、それに慣れていかないと、生活して行くことが出来ないのだよな。
「今日の調子の悪さの理由の一つには、復活祭の影響もあるのかも知れない。」と思いつつも、そうしたことに慣れて行かないと、駄目なのだよな。きっと。
[ 2008/03/24 23:01 ]
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