昨晩、ANIMAXで
『ガンダムSEED DESTINY』の第41話を視聴した。昨日には、『ガンダムエース』の最新号も購入しており、その内容に際して様々に考えさせられていただけに、再考するにつけ、やはり思うところがあり、その気持ちのままに記してしまった。
一度、どこかで書いたことがあるような内容となってしまったが、仕方ない。
『ガンダム00』を視聴する中で、それとの類似性を意識して来てはいるものの、それを上手く表現するためには、私の頭が足らないこともあるが、第2期の放送が未だ始まっていないことも大きい。それ故、「この分だと、多分に、第2期の放送を必死に見るのだろうなぁ。」と、考えたりもする。
『ガンダムエース』にも掲載されていたけれども、第1期の最終話の終盤のカットにおいてルイスの手前にいた人はリジェネ・レジェッタという人らしい。私は掲載内容を受け、リジェネという言葉を検索して、初めて知ったが…。やはり、一見しただけで感想を記すと、ああいう齟齬を来たすよな。ま、分かってくれる人は分かってくれるのだろうが。(
*)
*リジェネ・レジェッタ関連で、『ガンダム00』の第24話・第25話の感想に追記しました。 第2期が、本当に待ち遠しい。
[ 2008/04/29 14:02 ]
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私は、ミヒャル・エンデ著作品の『モモ』が好きである。その理由の一つは、モモの人柄だけではなく、モモが出会うある人物のことが前提にある。その人物の正確な名前は忘れたのだが、その風体として、少年のような姿をしていたかと思えば、老齢な姿をしていたりするなど、その人を構成する時間がランダムに変化するという人物。
読んだ当時として、その人に対して憧れにも似た気持ちを抱くと共に、親近感も抱いたことを覚えている。
今になって、その理由が漸く分かりつつある。
一般に、歳を取れば、若者と呼ばれる頃は可能であったことも、そう容易くはなくなることは事実。私として、その認識があったから、自身として意識することを一体どのように表現するべきなのか悩まされた。オリジナリティの獲得とか、そういったことでなしに、具体的な説明を可能とするべきであることを強く意識させられて来ているわけである。
だからこそ、かの人物に、憧れにも似た気持ち(その人はその人の姿そのままによって、その実を表現出来ているから。)を抱くと共に、親近感(自身として風体は変わらないけれども、その人と似たような変化が自身の只中で起こっていることを意識するから。)も抱いたことに、「分かるなぁ〜。」と、思う他ないというか。
◇
つい先日においても、自分の中の時間が一定時間巻き戻っているような感覚を覚え、そうして俯瞰できる根拠としての外の時間(客観的な認識としての、何年何月何日に繋がる時間。)との違いに、正直躊躇うのを感じた。というのも、事実としてそれを認識をすることはあっても、普段であれば、そこまで冷静には認識できないはずだから。
が、ここ数日を通して、「あ。あれは端緒だったのだな。」と、思う他はないというか。
常々、私は、「ある時には出来ていたことが、またある時には出来なくなっていること」を認識している旨を記したりしているが、自分の中の時間が一定時間巻き戻っているような感覚を身を持って意識すること自体が正直珍しいというかそんな感じ。
大抵は、巻き戻っていても、その戻る調子が調子だから、そうして補正された視点では、ざーっとしか物事を意識できない。つまり、(表現の仕方は可笑しいが、)普通の人であれば気付けたはずのことも、気付けずにそのまま放ってしまっているわけである。で、他の人が指摘してくれることで、その差分を漸く認識できるという。
そして、私個人としては、そうした認識があるために、つい、そのままの言葉(感謝の言葉)を示してしまうのだが、会話の流れとして、(繰り返しになるが、表現の仕方が可笑しいが、)普通の人であれば、それは言葉そのままの意味を以て解されるべきものではないため、その会話としては破綻することとなる。勿論、他の人として恐らく分かってくれてはいるのだけれども、そのままでは私自身が変わっては行けないため、言うことは言ってくれる。
で、これまた、そのままの言葉(感謝の言葉)を示すと、会話として成り立たないわけで。
こうして記すことを重ねることで、無いよりはマシな対策は取れているはずなのだが、中々どうして。将来に亘って生活して行くためにも、普通の人にどうにか近付いて行きたい手前としては、励むべきことは多い。重々気を付けているつもりでも、その現象は変わらないため(事と次第によっては、その現象への認識も欠落した上での認識を自身として構成してしまうから。)に悩まされるが、こればかりはクヨクヨしたところで、本当にどうにも仕様がない。
[ 2008/04/24 22:45 ]
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修理を頼んでいたパソコンの修理が終わったということで、今日、受け取りに行った。頼んだ方(プロ)が良い人で、データを残した上でのことだったため、素直に有り難かった。が、パソコンの年季自体が既に良いところまで来ていることを言われたため、その足で電気店に立ち寄り、物色。
店員さんに相談した結果、まずは外付けHDを買って、それにデータを落とし込んでいくことに。
リカバリーをすることも勧められはしたけれど、それには二の足を踏む状態。
何れにせよ、そうしたことを終えた後、要らないソフトを削除したり、ここ数日に発見したブログのウェブ表示の不具合を直すべく、四苦八苦していた。が、どうにもよく上手く行かなかったため、以前使っていたテンプレートに変更し、一時休止。一定期間は、このままの状態に止め置くかも知れない。
以上。
[ 2008/04/22 22:47 ]
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私はXP搭載のノートPCを使っているのだが、2014年までのサポート期間終了まで何とか使えないものかと、快速化をするべく、ガイド本に従って弄っていた。そして途中までは、ガイド本に従ってそのまましていたのだけれども、「確か、このノートPCには元々Dドライヴのスペースがあったよな?」と、思い出し、どうにかしてそれを確保出来ないかと四苦八苦していた。
記憶が正しければ、マイコンピュータに一覧表示されるDドライヴを、その欄から削除してしまったのが始まり。
「だから、どうにかなるはず。」と、考えて、四苦八苦していたのだけれども。
結果は、『missing operation system』といった感じ(うろ覚え)の状態となり、「ははははは…。」と、がっくり。
後の処置を、プロに任せることとなりました。で、今、自分のPCを利用できない状態。ここ最近、油断してデータのバックアップを取るのを忘れていたから、普通にセットアップされていたら、データは確実になくなっているだろうし、涙が流れるばかり。胸が痛くなって来たよ。尤も、利用できるようになるだけ未だマシと考えて、気を静めないとな。
その時はその時。多分に、バックアップを取り忘れていた自分が悪いのだから、仕方ない。
[ 2008/04/20 09:52 ]
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HPのレイアウト変更に際して、理想としては、洗練された品の良い感じのレイアウトにするということがある。が、私は別に洗練されている人間ではないし、まして品の良い感じのする人間ではないため、どうにもそのような感じにはならない。
違和感を感じるばかりのレイアウトに接していたくはないから、無い時間を割いて、このようなことをしているのだけれども、ここ最近の自身の変化にアウトプットの面として追い付いていないことを如実に示す例と言えるだろうか。
以前に比べれば、本当に多くの様々な他人に対して恐々する余り緊張しなくなって来ているとはいえ、緊張している部分があることは否めない。もちろん、人間の心情としては、それが普通なのだけれども、生活して行くことを考えたら、もう少しは確実に、その緊張の度合いを低くしなければならないわけで。
が、これまでの自分自身のことを考えたら、自分がそう思うだけではなく、実際にそうなるように出来ることはするべきであることは明らかだし、そのためにも、表現できることは表現して行かなければならないわけで。ドンマイ。俺。
[ 2008/04/10 14:15 ]
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