私として、今のところ想い続けているだろう人として、岩間正之という人がいる。でも、正直、その気持ちがよく分からない。彼を慕う対象と見ていることは事実なのだけれども、実際に会うことが出来るわけでもないし、その見込みも今のところない。そしてそれ故に、苦痛を感じ、その気持ちと距離を置くことを心掛けたときもある。
そうこうしている内に、好きであることを自覚させられるに至った人はいるし、見るだけでも結構癒される人たちへの気持ちもまた自覚することが出来るようになっている。
が、そうして時が流れる中で、正之さんのことを愛しているような気持ちがあることに気付く。少なくとも、その言葉として。
好ましく思う人が多いことに悩んだ頃があった一人としては、その心理的状況が至って不思議でならない。
◇
それ故、一身上のことにこじつけて、「岩間さんが俺のことを?」などと考えたりもするが、一身上のことは別としても、現実的なその見込みはないに等しい。
だから、不思議でならない。
自分の中で気持ちの整理がついていない状態にあることも考えられるから、放って置くしかないのかも知れない。
ただ、正直なところとして、(性的な意味を含め)愛おしさの度合いで考えるに、目下として好きであることを自覚させられるに至った人の方が、好きである。
しかし、これまでの経験上、他人を好ましく見ている場合、少なくとも俺の観点・視点は、何処かは必ず欠落しており、厳密な意味で優劣をつけることが出来るわけではない。それ故に、気持ちの整理をつけることが難しいのかも知れない。そもそも、本当に幼い頃であれば、「好き」だけで済んでいたものが、歳を経るにつれ、そうではなくなっていくからな。
岩間正之さんを好ましく思うようになった頃は、本当に厳しい状態だったから、「理想の人」とかそういう趣旨に基づく観点は大分削がれた上でのこと。だからこそ、極めて似たような人は別だけれども、タイプ別けされるその1つとして好きではないことは分かっている。というか、誠実になろうとする余り、その域を脱してしまったというのが正確なのかも知れない。
だから、目下として、言葉で表現できる形で胸中の愛おしさを描くことが出来るのは、彼に対してだけなのだろう。
が、そうした気持ちがあるにせよ、好きであることを自覚させられるに至った人はいるわけである。
そしてそのように判断するに至った経緯が、俺の悪い癖(感化され易い、シチュエーションに弱いetc.)に基づくものなのか、それとも本心に基づくものなのか、今のところ、正直分からない。というのも、私自身、どちらでもあって欲しいと望んでいるようだからな。要は、もっと好きになりたいけれども、もっと好きになるのが怖いということ。
人間の心理って、この辺りのこととか、本当に絶妙だよな。
[ 2008/05/29 17:22 ]
思慕 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
関心を寄せているアニメは幾つかあるものの、目下として忙しい状況にあり、ここ数日として目を通すことが出来ていなかった。で、先ほど、ネットで配信されている分を視聴し終え、安堵の溜め息を吐いている次第。評判に違わず、それなりに楽しめる内容で、安心した。
ただ、その内容として確かに面白いのだが、以前ほど楽しむことが出来なかった。
実質としてその性質の異なるものを、同じ土俵にあるものとして競わせた見方をすることは、人間の心理として普通にあること。だから、もし、観賞するだけではなく、鑑賞(この場合、観照?)することを目的としているのであれば、その辺りのことを踏まえなければ意味はない。
私として、それを意識して以降、アニメもまた気を付けて見るようになって随分と経ってはいるのだが、先ほど視聴し終えた分に際し、何だか以前よりも楽しむことが出来なくなっているような気がする。その展開が気にならないわけではないのだが、関心がないわけではないのだが、どこか冷めた感じの部分が自分の中にあることを意識させられるというか。そんな感じ。
歳を取るって、こういうことなのか、な…?
[ 2008/05/24 23:07 ]
番組 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
2004年のアメリカ大統領選挙において、同性婚を巡り、世論が二分された。同性婚容認の流れにあると見た保守層が、同性婚を認めない共和党に票を投じるべく動き、共和党候補であったブッシュ大統領が再選を決めた。しかし、その獲得票は51%。正に、アメリカ国民の二分状態を示す事態。
その後として、共和党の政治家においても、その個人的背景により同性婚容認の人はいることは示されたりもした。が、アメリカにおいて政治家の性的なスキャンダルは、その対象が同性であるかどうかに関係なく厳しい目が向けられるのが現実とされる限りにおいて、私として、双方の人たちは牽制し合いながらも睨み合いの状態を維持しているような認識を得ていた。
そんな中、カリフォルニア州の最高裁が同性婚を容認する旨を表明。
報道される限りでは、現地の人曰く、「カリフォルニア州の現実を鑑みれば、順当な判断。」との見方(飽く迄もその要旨として。)があるらしい。
事の動向に関心を寄せ続けているというか、事これに関しては特に、日本の情報よりもアメリカの情報の方を得やすい田舎の人間としては、「へぇ〜。」と、相変わらずの反応をする他はない。日本で一体どうすれば、そのレベルにまで至るのかどうか知れない一人としては、そう思うのが精々。
私の下手な推測かも知れないが、「日本の場合、国民の自由を尊重する法律は、そもそも勝ち得たものではなく、戦後として容認されたものである傾向があるために、国民の精神構造において、そこまでの自由意識を得るに至ってはいないのだろうなぁ。」と、思っている節があるため、尚更。
◇
何れにせよ、アメリカABCのニュースにおいては、2004年のアメリカ大統領選挙に際し進められたアンチ同性婚の流れの顛末を踏まえたコメントがされていた。
その顛末とは、(保守層との軋轢はあるものの、同性同士のパートナーシップ関係を認める人たちはかつてに比べれば確実に多くなっており、彼らの社会的保障として婚姻レベルとまでは行かないけれども)シビル・ユニオン等の関係までは認めることを法令上決定した州が多く出たことによって、(目下においても同性婚を求める人たちは確かにいるものの、)それ以前ほどまでに問題にはされていないということ。(
*)
*私として、同性婚を巡る動きについて、『北米地域@Organ Voice』でも幾つか記事を記してはいる。が、ざっと確認する限り、「シビル・ユニオン等の関係までは認めることを法令上決定した州が多かったかどうか」については、曖昧な記憶はあるものの、記事としての控えがない。とはいえ恐らく、そういった感じで良かったと思う。 (2008年のアメリカ大統領選挙に選出される予定の)各候補共に、現状を考えれば、それよりも問題視するべきことがあり、声高に叫ぶ案件とはならないだろう、というわけである。
私自身、2004年のアメリカ大統領選挙に際して進められたことを想起するに、及び腰。こうして記す必要性自体、私はそこまで強く意識させられてもいなかったから。でも、「この先のことを考えれば、記していた方が良いのかな?」と、考えるに、記している次第。善意とか義務感とかそういうものに基づいて書いているわけではない。正直な話、“何となく”、か。
良い人(恋人とか)が出来れば、それは変わるのかも知れないけれども、目下として、普通に遠い世界の話しだしな。少なくとも俺は、そこまで身勝手で傲慢な人間にはなりたくはない。
米 同性婚認める州最高裁判決(NHKオンライン 2008年5月16日 12時5分) 同性どうしの結婚を正式なものと認めるべきかどうかをめぐる裁判で、アメリカ・カリフォルニア州の最高裁判所は、同性どうしであっても正式なものと認めるべきだとする判決を言い渡しました。
この裁判は、サンフランシスコ市が同性のカップルに出した婚姻許可証は違法だとして裁判所が差し止めたのに対し、市や同性愛者の団体などが同性による結婚を異性間と同様に扱うよう求めて訴えていたものです。
これについて、カリフォルニア州の最高裁判所は15日、「同性どうしであっても、異性どうしの場合と同じように家族を作るという基本的な人権を認められなければならない」として、同性による結婚を認める判決を言い渡しました。
アメリカでは、すでにマサチューセッツ州で、州の最高裁の判断を受けて同性どうしの結婚を正式な結婚と認めており、カリフォルニア州が2番目の州になる見込みです。カリフォルニア州のシュワルツェネッガー知事はこれまで、同性どうしの結婚を合法化する法案に対して署名せず、拒否権を行使してきましたが、今回の判決を受けて、「裁判所の判断を尊重し、支持する」とコメントしています。
同性どうしの結婚をめぐっては、オランダやベルギー、それにカナダなどでは認められていますが、アメリカでは、ブッシュ大統領がこれを禁止するための憲法の修正を訴えるなど、保守派を中心に根強い反対があり、大統領選挙を前に再び議論が高まることも予想されます。
[ 2008/05/18 21:53 ]
情報・私事 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
ここ数日、つい少し前とはまた別の体調不良に悩まされている。
多分に、ミャンマー関係の影響があるのだと思う。というのも、こうして記したりすると、一定度プレッシャーが軽くなるのを感じるし。もちろん、その関連性をはっきりと示すことが出来るわけではないから、断定的な表現は余りしたくはないのだけれども。
情報を得る機会が限られているのは、事の大小はあれど、私自身も同じだから、ミャンマーの人たちを哀れむような変な感情を向けることが出来るわけではない。大体、私自身もまた関心を注いで来る中で知り得て来たことに基づく限り、日本も相当変な国だし。
こうして記すことで体調不良が幾らかマシになっている現実が、こういうとき無性に哀しい。
[ 2008/05/12 22:16 ]
つれづれ |
トラックバック(-) |
コメント(-)
ここ最近において結構関心を寄せているアニメとして、
『ブラスレイター』『マクロスF(フロンティア)』『RD 潜脳調査室』等があるのだが、
GyaO【アニメ】にて配信されている『RD』の第5話の内容には、素直に唸らされた。
第5話は、『スーマラン』という題目で、スーマランという一世を風靡したブランドのメガネをモチーフにして進むわけだけれども、チンピラに暴力を振るわれたある青年が、その仕返しのために、実践型格闘コミュニティの不敗のチャンプであるアイアン・シュヴァルツのデータをアンドロイドに落とし込み、そのアンドロイドが暴走したことで巻き起こされる事件等が絡みに絡んで、見応えは十分。
ただ、それが故に、私として考えさせられたわけで。
◇
私は、
『傲慢』という記事において、
“バーチャル経験がリアルを侵食する可能性が最も高い人たちというのは、その費用が一体どのようにして得られたものかを知らない人たちと言えます。更に言えば、それに際して、“こうこういう過程で”という単なる机上の理屈に止まらず、その社会的背景として一体どのようなものがあり、それへの一個人・一集団のみに基づく行為を推し進めることの困難さを知らない人たちと言えるのではないのでしょうか。”
と、記しているわけですが、「やっぱり、考えが浅いのかなぁ・・・。」と、思うわけで。
私は別に、バーチャルの世界に浸っている人生を歩んでいるわけではないため、データをアンドロイドに落とし込んで復讐をするという発想自体が、「えええ!?」と驚嘆するものなのだけれども、「よくよく考えるに、仕方ないのかなぁ。」と、思う他はない。
というのは、事件を引き起こす元となった青年は、メタルへの依存度が高いということで括られていましたが、劇中の描写からすると、その青年が暴力された場所というのはハナマチ(
*)であり、その青年が属しているリアルのコミュニティもまたハナマチであることが推測されるため。
*歓楽街のこと。「主に独身男性の慰安のため」という名目のもとに、諮問委員会からのテコ入れで発足した区画で、その存在が正式に認可されている。アンドロイドを使用した風俗店や、託体施設が軒を連ねており、不法滞在者が多く存在する場所でもある。(公式HPの用語集より。) 第4話では、ハナマチにおいて、メタルアバターをカスタマイズする業者(ソウタに負ける腕っ節の人たち)がいること、その業者が逮捕・勾留されることを防ぐべく銃を持った人員がいることから、メタルの係わる分野において二層構造が出来ていることが示されているわけである。つまり、金のなる木を確保するために、リアルの暴力に訴える人たちがいるということ。
そうしたことを考えるに、「暴力を受けた青年がデータをアンドロイドに落とし込んでまで復讐しようとしたのは、本当に復讐だったのだろうか?」と、思わなくもない。第4話で、ソウタとホロンの介入によって、ハナマチの上部階層にいるだろう彼らが格闘技には弱いことが分かったわけだからな。もしかすると、彼なりに、現状を変えたかったのかも知れない。
でも、実際は、落とし込まれたシュヴァルツのデータは、その格闘スタイルとそのデータを保持することを念頭に置いたものであったのだろう。だから、暴走した、と。実際にはどうかは知れないが、暴走した際、出張ったポリス(円柱状のロボット。)を組み倒していたのも、そうした背景があるかも知れないことを推測させる。
止めの一手は、ホロンから事の顛末が伝えられる情報として、「メタルへの依存度が高かった青年が〜」と、括られていること。「劇中の描写からすると、事の発端となっている場所はハナマチだよ? 普通に考えて、俺が考えたようなことはあるだろう?」という疑問を得るには十分だった。「ハナマチが諮問委員会のテコ入れで発足した区画であることを考えれば、そのように落ち着けるのが無難か。」とは、確かに思うけれど。
総じて、第5話の内容は、「バーチャル経験がリアルを侵食する可能性。多くの利害が絡み合う現実の中で、その見方は様々に変わるものなのだな。」と、気付かされた内容でした。目下として、色んな感情が自分の中で渦巻く中で、言葉として表現できるのはそんな感じのことかな。
[ 2008/05/11 16:29 ]
番組 |
トラックバック(-) |
コメント(-)