愛しさ 

 私として、今のところ想い続けているだろう人として、岩間正之という人がいる。でも、正直、その気持ちがよく分からない。彼を慕う対象と見ていることは事実なのだけれども、実際に会うことが出来るわけでもないし、その見込みも今のところない。そしてそれ故に、苦痛を感じ、その気持ちと距離を置くことを心掛けたときもある。

 そうこうしている内に、好きであることを自覚させられるに至った人はいるし、見るだけでも結構癒される人たちへの気持ちもまた自覚することが出来るようになっている。

 が、そうして時が流れる中で、正之さんのことを愛しているような気持ちがあることに気付く。少なくとも、その言葉として。

 好ましく思う人が多いことに悩んだ頃があった一人としては、その心理的状況が至って不思議でならない。



 それ故、一身上のことにこじつけて、「岩間さんが俺のことを?」などと考えたりもするが、一身上のことは別としても、現実的なその見込みはないに等しい。

 だから、不思議でならない。

 自分の中で気持ちの整理がついていない状態にあることも考えられるから、放って置くしかないのかも知れない。

 ただ、正直なところとして、(性的な意味を含め)愛おしさの度合いで考えるに、目下として好きであることを自覚させられるに至った人の方が、好きである。

 しかし、これまでの経験上、他人を好ましく見ている場合、少なくとも俺の観点・視点は、何処かは必ず欠落しており、厳密な意味で優劣をつけることが出来るわけではない。それ故に、気持ちの整理をつけることが難しいのかも知れない。そもそも、本当に幼い頃であれば、「好き」だけで済んでいたものが、歳を経るにつれ、そうではなくなっていくからな。

 岩間正之さんを好ましく思うようになった頃は、本当に厳しい状態だったから、「理想の人」とかそういう趣旨に基づく観点は大分削がれた上でのこと。だからこそ、極めて似たような人は別だけれども、タイプ別けされるその1つとして好きではないことは分かっている。というか、誠実になろうとする余り、その域を脱してしまったというのが正確なのかも知れない。

 だから、目下として、言葉で表現できる形で胸中の愛おしさを描くことが出来るのは、彼に対してだけなのだろう。 

 が、そうした気持ちがあるにせよ、好きであることを自覚させられるに至った人はいるわけである。

 そしてそのように判断するに至った経緯が、俺の悪い癖(感化され易い、シチュエーションに弱いetc.)に基づくものなのか、それとも本心に基づくものなのか、今のところ、正直分からない。というのも、私自身、どちらでもあって欲しいと望んでいるようだからな。要は、もっと好きになりたいけれども、もっと好きになるのが怖いということ。

 人間の心理って、この辺りのこととか、本当に絶妙だよな。
[ 2008/05/29 17:22 ] 思慕 | トラックバック(-) | コメント(-)