震 

 昨日、岩手・宮城内陸地震があった。震度は6強らしい。私は、丁度バイトに勤しんでいたわけだが、その最中として、とても気持ち悪くなるのを感じた。その理由として、ただ単に、体調不良によるものかとも思ったが、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、新潟県上中越沖地震等と、何だかんだと一定の関心を払ってはいたけれども、今回ばかりは本当に関心を払っていなかったから、「已む無し」とも思わなくもない。

 正直、今のところ攫った記事は、ほんの少し。

 状況的に見ることが出来ないということもあるのだけれども、ここ数日の変化に際し、目を通すものに目を通していたら、結果的にそうなっているという部分もあるのは確か。

 そして久々に、『田亀源五郎's Blog』に目を通していて、2008年5月9日の更新記事に目を通すに至るに、「もしかして。」と、思わなくもないというか、「この辺りのことも関係しているのかな?」という疑問を得るに至っているというか。



 私自身、田亀さんが示されているような、“極論を恐れずに言うならば、日本における「ゲイ差別がない」状況というのは、社会というシステムによって「何となくそういう状況に置かれている」ということでしかない。”という事実を前提に綴られる言葉の数々に同意を見る他はない一人として、その内容に際し納得の行く部分があったわけである。

 欧米において同性婚が認められるべく動いている人たちというのは、彼らの権利引いてはその存在を社会的に認められるべき存在として位置付けるために動いているわけであり、その事実には、素直に拍手喝采を送るに足りる行為である。

 第三者的な立場に基づけばこそ、彼らとして存在を主張するのは、寧ろ歓迎されるべきことであろう。

 ただ、日本人の一人としては、「欧米でそのような動きがあるからといって、日本は? 日本人は?」という疑問にも向き合うことを余儀なくされるわけであり。

 とはいえ、私は、同性愛者向けのコミックには目を通しはするものの、それ以上のことを際立ってしているかと言えば、そうでもない。その行為としては、していない側に位置するだろう。正確には、一身上のことを考慮すればこそ、それが精一杯の行動。そして、だからこそ、欧米において活動している人たちの方に親近感を抱きやすいのが実際。

 一応、一日本人としての自覚を育むようになって以降、その親近感の程度は低下したけれど、その半面、『場違い』というかそんな感じを抱くようになっていることも事実。それに、同性愛者向けのコミックも、以前ほど楽しむことが出来なくなっているように思う。

 そうしたことを考えるに、「俺、本当にゲイなのかなぁ?」と、考えるようになっている始末。

 一応、「好きであることを自覚させられるに至った人」に対しては、(気持ちを伴う形で)普通に欲情できるのだが、上に書いたような次第のため、実際に関係を深めようと思うことは出来ないし(俺がそういった感じであっても、相手側が大丈夫でないとな。)、それ以前に、今の自分の状況として、そもそもそういった関係に至ることが出来るような状況ではないし。

 ぱっと見、そういった関係に至っている・至るかも知れない人たちはいることを、(田舎とはいえ)折々の機会に目にしてはいるため、ゲイであることを選んだ人たち全てがクローゼットの世界にあることを望んでいるとは到底思えない。が、田亀さんの指摘にあるようなことも強ち的を外しているわけではないとも思う。

 日本人って、つくづく変な人たちなのだな。(

流石に、「面白い。」と言い切るには、問題の根が深刻だし、余りにも他人事のような調子であるかのように受け止める人もいるかと思い、このような表現とした。配慮を望む。



震度6 岩手県では5年ぶり (NHKオンライン 2008年6月14日 10時17分)

 気象庁によりますと、岩手県では震度6弱以上の激しい揺れを観測したのは、平成15年5月26日に宮城県沖を震源とするマグニチュード7.1の地震で、大船渡市や一関市などで震度6弱を観測して以来、5年ぶりです。また、宮城県内では、平成17年8月16日に宮城県沖を震源とするマグニチュード7.2の地震で、川崎町で震度6弱を観測して以来、3年ぶりです。
[ 2008/06/15 18:26 ] 情報・私事 | トラックバック(-) | コメント(-)